第204回 『 詩人と音楽家 』
- 2006/07/25(火) 15:00:00
【 どんな経歴の人が養成学校を創ったか 】
・管理者養成学校がどんな教育機関であるかを知るには、どんな経歴の人がこの学校を創ったかを見れば良い。学校は財部一朗と元橋康雄が創った。よく軍隊経験者が創ったのですかと聞かれるが、二人は日本敗戦の時は小学校3年生、無論軍人でなく軍隊も知らない。次に二人は高校、大学において武道、スポーツとは縁がなく、体育会系やしごきの世界も知らない。自衛官でも警察官でもなく、また海外留学、外国での勤務経験はない。
・財部はビジネス教材会社の営業マン。元橋は作曲家にしてテレビ朝日のアルバイター。財部は勤める会社をスピンオフし、元橋と共にニュー・ビジネスを昭和42年にスタートさせた。…株式会社社員教育研究所。それはテープレコーダーによる研修教材の開発と販売であった。二人が20代後半の事だった。
・一作目の教材はダイナミック・セールス 「売上倍増への挑戦」 。執筆・財部一朗、音楽・元橋康男。…これが売れた。以降、二人は次々にテープ教材を制作し、販売した。これまでにない事業が日本に創られ、根をおろした。
【 封印を開き、埃の中から軍隊教育の功罪を拾った 】
・10年後、財部の姿は図書館にあった。第二次大戦で800万人の日本の若者が戦争に動員され、生還者はおびただしい手記を残した。その中の約200冊を読み、財部はショックを受けていた。わずか2年の教育で、若者を兵士に育ててしまう。彼らは砲を撃ち、戦車を駆り、空を征き、海に潜って戦う。あの200冊の手記には新兵教育の驚くべき効果が綴られていた。あの大戦は、『教育戦争』 でもあったのだ…。 同時に新兵教育の場のしごきとすさまじい暴力を、生還者は厳しく指弾していた。
・戦争に敗れ、日本では軍隊のすべてを否定し、封印し、忘れた…。いや、日本だけでなくアメリカなど戦勝国も含め、世界中で人々が忘れたのだ…。その中で財部は民間人では唯独り、旧日本軍の封印を開き、教育の功と罪を埃の中から拾い出していた。市民を短期に兵士にする。あの新兵教育の威力は現代のビジネス教育に活用する道があるはずだ…。
・2年後の昭和54年、管理者養成学校を開校、13日間合宿『地獄の訓練』がスタートした。それは全く新しい学校の出現であった。幸いこの時、全国に財部ファンが生まれていた。彼らは初め用心深く当校を見守ったが、一年も経たないうちに動き始めた。週刊誌が報道し、日本のテレビ、やがて世界中のテレビ報道がそれを加速した。養成学校は驚きをもって受け入れられ、元橋は学校長として顧客との接点に立った。
【 この学校は、詩人と音楽家によって創られました 】
・学校には10前後の歌があり、詩は全て財部が書き、元橋が曲を付けた。元橋は日本大学芸術学部作曲科卒。仲間に猪俣公章がいた。日本音楽集団の同人であり、歴とした音楽家だ。財部は研修コースの執筆家であり、20篇の詩を書いた。二人の特徴は、こんなところにあるかもしれない。性格は共に明るく屈託がない。失敗するが、めげることはない。
・平成18年1月、メールマガジンの読者より財部に次のメールが届いた。そこに、この学校を創った人が、端的に述べられている。
永冨晃彦氏のメール
吉岡 治 作詞 『小樽運河』の詩についての財部先生の解釈をメールマガジンで拝見しました。その時の私は、先生の巧みな解釈に、引き込まれるように読んだ記憶があります。以来、詩を題材にあれこれ想像をふくらませたり、仮説を立てたりすることが、ロジックシンキングの勉強になることに気がつきました。また、上級コースに参加させて頂いた折に講師の中村俊輔先生が、
『 この学校は、詩人と音楽家によって創られました… 』
と、仰ったことばが、なぜか非常に印象深く残っておりました。 … (以下略)(この項続く)
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