第212回 『 健康を管理する 』 4

  • 2006/11/14(火) 15:00:00

・癌は、存在が確認されこれを切除し、リンパ腺や他の臓器への転移が認められなければ、この時点で患者ではなくなる。少なくとも再発するまでは…。しかし臓器には胃のように単純なものだけでなく、また癌には転移しやすい強いものもあり、切除をもって癌患者か否かの線引きはできないが…。手術後まもなく、私の癌に転移がないことが確認され、癌患者におさらばした訳である。では癌患者でなくなって、私は何になったのだろう。
・体重は10キロ落ちていた。身体の諸機能も低下していた。リンゲル注射からやがて流動食へ…。それはまぎれもなく入院している病人であった。私は手術後20日余りで退院したが、この日をもって病人とさよならしたわけではない。それは多分退院後2ヵ月位だったであろう。私は自宅を仕事場としているので、この日から出社した訳ではなかったが…。

【 天が与えた節酒のチャンスを、ウカウカと見逃していた 】
・病棟で私は歴とした病人であったが、同時にもう一つの呼称を持っていた。それは身体(?)障害者である。手や足やその他の機能を何かの事故で失った人である。彼らの治療は受けた障害の治癒と、失った機能を器具または器官によって快復することである。右手を失えば左手で字を書かねばならない。字だけでなく生きる為には料理をせねばならない人もいる。リハビリである。そしてリハビリの目的は不自由なくという事であった。
・胃を失った私の場合、小腸が消化を受けもった。執刀医は食事は一日3回でするように言った。5回に分けるのはそれだけ実生活で不自由をする。訓練でそれが出来るのにそれをしない事はない…と。それから常に身体を動かすように。例のリンゲル液の滑車を引っぱって病棟を歩き、小川に青鷺を見に行くのが私のリハビリの始まりだった。少食になったが、食事は三度で攝っている。

・手術後、酒は身体が欲しがらないし、受け付けなかった。しかし退院2ヵ月が経った頃、掌に収まる位の小さな缶ビールを飲んだ。それが一晩の適量であった。こうして40年間続いた酒との縁が、ほぼ一年間切れた。体調はすこぶる良く、40年振りに毎日をいきいきと送ることができた。親は健康に生んでくれたというのに、せっかくの人生を酒で台無しにしていた。酒の害を、そのときつくづく思い知ったはずだ。しかるに、身体の快復と共に酒量は増えていった。天が与えた節酒のチャンスを、私はウカウカと見逃したのであった。

【 素人の勝手判断と専門家の説明不足 】
・術後、抗癌剤が処方され時々血液検査を受けた。薬の量はそれなりの量があった。私は一年ほど通院して、「もう大丈夫だろう」と通院も薬もやめてしまった。その数年後、一人の友人がどこかのクラブで知り合った医大の薬学部長の次の言葉を教えてくれた。「抗癌剤の有効性は40%…」40%が4割の人を指すのか、弱性の癌なら有効というのかはっきりしない。しかし有効性40%は説得力を持つ数字であった。すなわち私は名医の処方の抗癌剤をやめてはいけなかったのだ。素人の勝手判断は危険であり、私はやはり癌患者だったのだ。それにしても専門家の説明は常に不足する。これには、素人は具体的な質問を忘れないことである。

・先日、私は私を含む5人の幹部と会食をした。このうち私を含む3人が一晩7合の鯨飲派であり、食事には酒が出た。私はお燗を一合、ゆっくり飲み、追加を注文しようとしてフト気がつくと、7合派の一人の妙な動作に気がついた。同じく徳利でやっていたが、まず杯に酒を半分ほど満たし、鯨ならぬ小鮒のようにちびりちびり舐めていた。しかも徳利にはまだ酒が残っている…。
「えーッ、あなたも節酒、やってるんですか?」私は思わず声をあげたが、しばらくして7合派の非常勤の役員氏がビールをすするように飲んでいるのに気がついた。
「あれっ、先生も私のメルマガ読んでいるのですか」
「私は初回からずっと読んでいます」
「それで節酒をしてるんですね」

・私のメルマガの受信者は現在3,600人である。かつては読者からいろいろご意見を頂いたが、最近はぱったりご意見が途絶えていた。メルマガを書く度に身近な人に感想を聞くようにしているが、闇夜に鉄砲の心許なさがあった。それだけに目の前の鯨派の2人の小鮒派への変身には少し感動した。…もしかしたら3,600人の読者の中には、何人かの人が節酒や禁煙に成功しているかもしれない。こんなことは教育屋冥利につきるというものだ。(この項続く)

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