第214回 『 未来を予測する 』
- 2006/12/12(火) 15:00:00
・あれは私が小学校6年、昭和23年頃だったであろうか(実際は昭和21年2月)、日本政府はそれまで流通していた円の、新円への切り替えを決定した。新円への切り替えとともに旧円はある日を境に流通停止となり紙屑と化す。これに先立ち、庶民は手持ちの5円札以上の現金を銀行に預けるように求められた。そして新円が発行されるまでの数ヵ月または数年間(実際は同年10月末まで)は、預金から生活費のみの引き出しを認められ、その分の旧紙幣に証紙を貼ったものだけが通用した。この証紙貼りが私の仕事だった。
【 タンス預金が紙屑に化した 】
・この新円切り替えで思いもよらぬ悲劇が起こった。新円切り替えやこのシステムを知らない資産家がいたのだ。そして彼らの内の何人かは旧円をタンス預金にしていた。そしてある日、この大事なお宝が紙屑に化している事に気がつく…。この報道に多くの人は嗤った。しかし彼らも、まもなく大事なお宝を紙屑にしてしまう。
・円という呼称が変わらない旧円を、なぜ一気に流通停止にしたのだろうか。ともかく人々は政府を信じ、その指示に従った。手許の現金はすべて銀行に預金し、毎月生活費分を引き出せるが、それ以外の預金は封鎖された。
・こうして預けられた現金はついに手許に戻らなかった。正確には10ヵ月後に全額戻ったが、その価値は大きく減っていた。ご承知のように昭和20年には35円で買えたものが、昭和24年には2080円に高騰している。その差は5年で60分の1だが、10ヵ月の間に銀行預金は、多分10分の1に価値を減じたに違いない。人々はハイパーインフレと新円切り替えで、気がついたらまる裸にされていたのだ。
【 日本が勝つか負けるか考えた人はいなかった 】
・第二次大戦は昭和16年に始まり、昭和20年に敗戦を迎えた。戦争は緊張と高揚した気分と民族の一体感を高め、大部分の国民は敗戦の間際までその気分を持続した。事実、新聞やラジオ、ニュース映画も連日、連戦連勝を報じていた。このような中、当時の日本人は戦争の勝敗について、如何なる考えを持っていたか。多分、日本が勝つか負けるかを真剣に考えたり、信頼できる人と意見を交わした人は多くはいなかったのではないか。
・戦時下における言論の統制はきつく、人と意見を交わせる環境はなかった。敗戦など危険思想であり、口に出せる事ではなかった。こうして多くの日本人は人と意見を交わすことなく、ついには戦争の勝敗についてまともに考える事なく過ごしたであろう。
・日本が負けてアメリカ軍に占領されるという事、その時、日本にいかなる混乱が起こるか。庶民の予測はせいぜい、そうなれば男は強制労働にされ、女は強姦されるだろうというものだった。この二つをしたのはアメリカ軍ではなく、旧満州でソ連軍であった。アメリカの兵隊はジープに乗って子供達にチョコレートとガムを与え、女性には強姦ではなく金を支払った。
・まして敗戦とその時期の予測、そこで起こる経済の混乱と自分の運命は…。また日本の社会はどのように変貌していくのか。そして今、自分に出来る事、しておくべきは何か…。こういう事をきちんと考えている人は、そうでない人とは違う未来を迎えることができる。
【 敗戦が予測できても混乱の中で何の役に立つか 】
・日本の敗戦が仮に予測できたとしても、戦争という混乱の中それが何の役に立ったかである…。政府は戦争を遂行するため巨額の国債を発行し、国民はそれを買ったのだった。戦争に負けそうだと予測されるなら、その国が発行する国債を買う人はいない。敗戦に伴う経済の大混乱が考えられれば、現金を物に換える事は出来たはずだ。たとえば値下がりを続けている土地などに。
・日本人が第二次大戦で未来や変化を予測しなかったのは、言論統制でも考える事を苦手としたからでもない。単に未来を予測する習慣が当時の日本人にはなかったからだ。農耕民族の村という共同体では、人と異なる行動をする事はタブーに近い。それをやれば人に嫌われ、それがうまくいけば村八分にされかねない。四季があって日は朝昇り、戦争であっても今日という日は永遠に続く…、と何となく思い込んでいる。こうして変化を予測する習慣が、日本人には元々なかったのだ。(この項続く)
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