第261回 『 竹内まりや人生の扉 』 1
- 2008/04/10(木) 15:00:00
・今、郵便受けを見に行ったら竹内まりやの歌う 『 人生の扉 』 のCDが届いていた。協和発酵のコマーシャルで
「春がまた来るたび ひとつ年を重ね」
僅か二小節だが、心を奪われている。近くにレコード屋がないので、会社で買って送ってもらった。ワクワク…、これから聞きます。
・アア、何という偶然だろう。別のCDだった…。
・スタッフのAはCDを宅配便で送ったのだった。彼女は業者に連絡を取り、それが昨夜届き、私が不在だったのでマンションの事務所に預けたと報告がきた。そして私は昨夕、郵便受けのメモを見ながら、例によって綺麗に忘れていた。
・私は71年間、一度もCDを送られた事はなかったが、昨日と今日、続けてCDが送られてくる不思議を体験した。
【 寂のような味があるこの歌い方が私の心臓を鷲掴みに 】
・CDは聞いた。…今も。コマーシャルではたった2小節で私は心を奪われたが、この直感は誤らなかった。恥ずかしいが涙が何度も溢れた。竹内まりやは50代の自分の人生を詩に書いたが、それは70代の私の人生と正確に重なった。彼女はまた私を詩に登場させた。
「You say it's alright to be 70」1)
訳せば「 70代は全然いいよと あなたは言うわ 」…ぐらいか。
『 人生の扉 』
「春がまた来るたび ひとつ年を重ね
目に映る景色も 少しずつ変わるよ
陽気にはしゃいでた 幼い日は遠く
気がつけば五十路を 越えた私がいる
信じられない速さで 時は過ぎ去ると 知ってしまったら
どんな小さなことも 覚えていたいと 心が言ったよ」2)
【 老いていく私の人生に彼女は生きる勇気をくれた 】
・曲も凄い。難しいような単純なような。そして竹内まりやの声を初めて聞いた。無造作に、感情を込めずに淡々と。しかし寂のような味があるこの歌い方が私の心臓を鷲掴みにする。大概の歌には驚かないが、この詩と曲は、歌うには難し過ぎるように思う。カラオケで歌えるようになるだろうか。こんな曲に接すると、また詩を書いてみたくなる…。老いていく私の人生に、彼女は生きる勇気をくれたのだ。
【 散文というのは名曲になるんだよ 】
・CDは社長も聞いた。夕方、出張先から電話があった。『 聞いたよ。いい曲だねぇ。あれ、ワルツだね 』 『 えッ、二拍子かと思っていたけど 』
『 ワルツです。強から始まっている 』 ワルツは三拍子で1拍目が強、二拍目が弱、三拍目も弱になる。そしてワルツの特長は1拍目が強い。
『 曲もいいけど詩がいいね。何だか全然、韻を踏んでないから詩と曲がピタリ決まっている所がない 』 と私。『 そう、散文というのは名曲になるんだよ 』 これから新幹線に乗るという彼との会話はここで途切れた。
・散文の詩は名曲になる事があると彼は言った。時々と言ったはずだ。何故だろう。私の詩はだいたい韻を踏んでいる。指を折って作っているから。詩が韻を踏んでいれば作曲家は作曲しやすいはずだ。そして一番が決まれば二番以下の歌い方は一番と同じようにやればいい。ところが人生の扉の二番の詩に曲の付け方は見当もつかない。詩のどの箇所を伸ばし、どこでメロディーが変わるのか…。
・ところがある日私は気が付いた。竹内まりやは自分の詩と細部にわたって格闘をしたんだ。格闘の過程では用意したメロディの変更があり、不自然な表現の見直しを行ったに違いない。そしてこの格闘が曲を名曲に押し上げた…。
・後日、また社長と電話で話した。彼は言う。『人生の扉、聞いてるよ。曲自体は演奏で聞くと単純で、分かりすい。これに詩が加わってこの歌は一気に複雑になってるね 』 『 韻文というのはネ、韻がはっきりしているから、曲が書きやすい。散文は言葉の流れが複雑化して、言葉のニュアンスに広がりが出る。だから、逆に曲の想像性が広がっていくんだ 』これが、散文が名曲に繋がる理由みたいだ。(2月22日、この項、続く)
1)2) 歌/作詞/作曲:竹内 まりや
収録CDタイトル:チャンスの前髪/人生の扉 発売:2007/8/8
販売元:(株)ワーナーミュージック・ジャパン
※ 1)については2章でご紹介します。
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