第131回 『 バブル崩壊と12年不況 』 4
- 2004/03/09(火) 15:00:00
・バブル期に、ハワイやニューヨーク、海外の不動産の買いに動いた金はいくらだったのか。昭和61年。この年の日本の長期資本の流出は1370億ドル、僅か一年間で実に22兆円に達した。これが海外バブルの実態である。一年前の60年は650億ドル、つまり半分である。驚くべきことに5年前の昭和55年は、僅か23億ドルの入超でしかない。つまり零だったのだ。
・波穏やかな静かな水面が突如100億ドル、200億ドルと盛り上がり、59年500億ドル、12兆円に達した。以後22兆円の大津波が昭和61年、62年、63年、平成に入っても続いたのだ…。 これが、海外資産の買いに向かった資金の数字である。ここには隠された部分があり実態は更に膨らむようだが、表向きの数字がこれだけあった。海外資産を買いあさった夥しい資金、この熱狂的資産投機も平成3年バタリ止まり、資金の流出は若干の逆入超、つまり零となったのだった。
【 22兆円に、平成4年に帰国命令が出る 】
・この凄い資金は、一斉に日本に引き上げられる。日本のバブルの崩壊による至上命令であった。
・昭和62年の海外に流出した22兆円に、平成4年に帰国命令が出るとする。海外資産は換金に時間がかかるので、売却に平均二年かかる、…とする。現金に替え、22兆円の半分が一年後の平成5年に帰国できたとする。この時、円は144円が108円に変動しているので、25%の為替の損失となる。
・残り11兆円は換金に3年…、平成7年、為替は1ドル80円までのぼりつめるが、90円で換金できたとして、38%の損失となる。トータルでは為替損で22兆円の32%、6.9兆が消えたはずだ…。
【 残り10.1兆円は戦死した 】
・また、資産に向けられた投資の損益はどうだったか。僅か6、7年間に100兆円を超える大金が資産の投資でニューヨークに、ハワイに押し寄せていた。そしてある日一斉に引いていったら、往きと帰りで叩かれたに違いない。買いで高値をつかまされ、売りで買い叩かれる…。 その投資損失はどう控え目に見ても20%は下らない。これに為替差損の32%を加えると46%となる。すると昭和62年の22兆円の円のうち日本に帰還できたのは54%であり、残り10.1兆円は戦死したのだった。 あの7年間の総額が100兆円とするなら、54兆円が帰還でき46兆円が失われた。
・前号で私は次のように述べた。そもそも昭和60年のプラザ合意により、日本円を高くするという先進5ヵ国の合意がある中、アメリカへの投資はきわめてリスキーであったはずだ。常識的には近寄るべきでなかった。案の定というべきか…。
・海外バブルの実態は上に述べた状態だった。海外に投資した人の中に個人投資家も少なくなかった。この人たちはプラザ合意も為替の知識もなかったであろう。しかしこの人たちで100兆円の投資はあり得ない。ここには大企業も中小企業も国内業者も国際業者も、みないたに違いない。あの時、ウカツにも常識を忘れ、結果的には常識に挑戦し、アッと言う間に恐ろしいシッペ返しを食らったのだった。為替の知識経験を持つ企業で、意思決定でなぜ常識が忘れられたのか。その総括はすまされたであろうか…。
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