第262回 『 竹内まりや人生の扉 』 2

  • 2008/04/18(金) 15:00:00

【 老いていく人の中には若者もいるのだ 】
『 人生の扉 』
「I say it's fine to be 60
You say it's alright to be 70
And they say still good to be 80
But I'll maybe live over 90

君のデニムの青が   褪せてゆくほど   味わい増すように
長い旅路の果てに   輝く何かが   誰にでもあるさ

I say it's sad to get weak
You say it's hard to get older
And they say that life has no meaning
But I still believe it's worth living
But I still believe it's worth living」1)

・人生の扉の詩の一部に不自然な箇所があり、少し気になっていた。
「 君のデニムの青が 褪せてゆくほど 味わい増すように 」
デニムの青が褪せる、詩のこの箇所に作為が感じられ説得力を持たない…。それはデニムが身近でないことによるらしい。そしてこの詩は老いていく人々への応援歌なのだ。しかし、先の詩に続く
「 長い旅路の果てに 輝く何かが 誰にでもあるさ 」
上の詩を眺めていて 「 誰にでもあるさ 」 の「さ」は何だろうと考えた。
・もしかしたら、作者は若い人に語りかけているのか。それで「 君のデニムの青 」 「君」であり「デニム」なんだ。私はこの詩は中高年の人への詩と考えていたがそうではなかった。老いていく人への歌だった。そして老いていく人の中には若者もいるのだ。だから「 長い旅路の果てに 」 なんだ。

【 ここには大きな時の流れだってある 】
・竹内まりやは初めに五十路を越えた自らの心境を語り、満開の櫻を何度見るかを自問自答している人に呼びかけて、人生の重さを共感する。そして最後に若者に呼びかける。「 輝く何かが 誰にでもあるさ 」 いや、恐れ入りました。
・しかし、この対比はいいなあ。
「 気がつけば五十路を 越えた私がいる 」2)
この詩が先に出来たんだ。それを対比し、五十路を強調するように
「 陽気にはしゃいでた 幼い日は遠く 」3)
うまいなぁ、ここには大きな時の流れだってある。

・友人Nは私のメルマガを読まない。代わりに私がメルマガの概要を話している。この日は「黒い花びら」の思い出を話した。新人たちが呼ばれた社長の宴席のこと。私が「黒い花びら」を歌ったこと。座敷に飛び込んで来た仲居のこと。昨年配信した『カラオケの文化』を読みたい人が他にも居ることに気が付いたこと。実に50年前、トステムの前身、妙見屋建具株式会社に入社した7人の大学卒業の同期生たち。

・新人の一人で、トステム社の元社長、飛田英一氏の住所が分かって『カラオケの文化』を送った。返事が来た。「良くぞ便りをくれました」という言葉「50年を 飛び越えて来し 賀状かな」なる俳句…。話していて、私は不覚にもNの前で涙がこぼれた。慌てて、竹内まりやの「人生の扉」をかけた。これなら涙を流せる…。

【 この言葉で私の疑問が一気にはじけた 】
・竹内まりやの歌が流れる。この時、Nは私の誕生日を聞いた。何だろう?
『 6月、…26日。君は4月の、…6日? 』
『 14日。…私も、この春また一つ歳を重ねるの 』 Nはプレーヤーを指さした。『 アーッ 』 この言葉で私の疑問が一気にはじけた。
・昔、人は正月に一緒に歳をとった。今は春に歳を重ねる文化を、一部の女性たちは共有しているのかと感じていた。ところが、何と春は竹内まりやの誕生日だった。または彼女が作ったヒロインの…。こんな簡単なことなのに。まだまだ読みが浅いんだ。

【 勝手に変えられては困るんだ 】
・竹内まりやの人生の扉について。コマーシャルではたった2小節で私は心を奪われたが、この直感は誤らなかった、と前号で書いた。私がこのコマーシャルを見たのは1月であった。このメルマガが配信されるのは4月下旬。するとコマーシャルは来年の1月まで待たねばならない。何故ならこれは協和発酵の花粉症薬のコマーシャルだから…。
・ところが2月に入って、会社は2小節を4小節にしていることに気がついてギョッとした。この調子では3月は8小節にするかもしれない。これでは私はアルツハイマーかウソつきにされてしまう。勝手に変えられては困るんだ。(2月22日、この項、終了)

1)〜3) 歌/作詞/作曲:竹内 まりや
収録CDタイトル:チャンスの前髪/人生の扉 発売:2007/8/8
販売元:(株)ワーナーミュージック・ジャパン
※2)3)については、1章(前回配信分)でご紹介しております。

第261回 『 竹内まりや人生の扉 』 1

  • 2008/04/10(木) 15:00:00

・今、郵便受けを見に行ったら竹内まりやの歌う 『 人生の扉 』 のCDが届いていた。協和発酵のコマーシャルで
 「春がまた来るたび ひとつ年を重ね」
僅か二小節だが、心を奪われている。近くにレコード屋がないので、会社で買って送ってもらった。ワクワク…、これから聞きます。
・アア、何という偶然だろう。別のCDだった…。

・スタッフのAはCDを宅配便で送ったのだった。彼女は業者に連絡を取り、それが昨夜届き、私が不在だったのでマンションの事務所に預けたと報告がきた。そして私は昨夕、郵便受けのメモを見ながら、例によって綺麗に忘れていた。

・私は71年間、一度もCDを送られた事はなかったが、昨日と今日、続けてCDが送られてくる不思議を体験した。

【 寂のような味があるこの歌い方が私の心臓を鷲掴みに 】
・CDは聞いた。…今も。コマーシャルではたった2小節で私は心を奪われたが、この直感は誤らなかった。恥ずかしいが涙が何度も溢れた。竹内まりやは50代の自分の人生を詩に書いたが、それは70代の私の人生と正確に重なった。彼女はまた私を詩に登場させた。
 「You say it's alright to be 70」1)
訳せば「 70代は全然いいよと あなたは言うわ 」…ぐらいか。
 『 人生の扉 』
  「春がまた来るたび ひとつ年を重ね
   目に映る景色も 少しずつ変わるよ
   陽気にはしゃいでた 幼い日は遠く
   気がつけば五十路を 越えた私がいる
   信じられない速さで 時は過ぎ去ると 知ってしまったら
   どんな小さなことも 覚えていたいと 心が言ったよ」2)

【 老いていく私の人生に彼女は生きる勇気をくれた 】
・曲も凄い。難しいような単純なような。そして竹内まりやの声を初めて聞いた。無造作に、感情を込めずに淡々と。しかし寂のような味があるこの歌い方が私の心臓を鷲掴みにする。大概の歌には驚かないが、この詩と曲は、歌うには難し過ぎるように思う。カラオケで歌えるようになるだろうか。こんな曲に接すると、また詩を書いてみたくなる…。老いていく私の人生に、彼女は生きる勇気をくれたのだ。

【 散文というのは名曲になるんだよ 】
・CDは社長も聞いた。夕方、出張先から電話があった。『 聞いたよ。いい曲だねぇ。あれ、ワルツだね 』 『 えッ、二拍子かと思っていたけど 』
『 ワルツです。強から始まっている 』 ワルツは三拍子で1拍目が強、二拍目が弱、三拍目も弱になる。そしてワルツの特長は1拍目が強い。
『 曲もいいけど詩がいいね。何だか全然、韻を踏んでないから詩と曲がピタリ決まっている所がない 』 と私。『 そう、散文というのは名曲になるんだよ 』 これから新幹線に乗るという彼との会話はここで途切れた。

・散文の詩は名曲になる事があると彼は言った。時々と言ったはずだ。何故だろう。私の詩はだいたい韻を踏んでいる。指を折って作っているから。詩が韻を踏んでいれば作曲家は作曲しやすいはずだ。そして一番が決まれば二番以下の歌い方は一番と同じようにやればいい。ところが人生の扉の二番の詩に曲の付け方は見当もつかない。詩のどの箇所を伸ばし、どこでメロディーが変わるのか…。
・ところがある日私は気が付いた。竹内まりやは自分の詩と細部にわたって格闘をしたんだ。格闘の過程では用意したメロディの変更があり、不自然な表現の見直しを行ったに違いない。そしてこの格闘が曲を名曲に押し上げた…。

・後日、また社長と電話で話した。彼は言う。『人生の扉、聞いてるよ。曲自体は演奏で聞くと単純で、分かりすい。これに詩が加わってこの歌は一気に複雑になってるね 』 『 韻文というのはネ、韻がはっきりしているから、曲が書きやすい。散文は言葉の流れが複雑化して、言葉のニュアンスに広がりが出る。だから、逆に曲の想像性が広がっていくんだ 』これが、散文が名曲に繋がる理由みたいだ。(2月22日、この項、続く)
 1)2) 歌/作詞/作曲:竹内 まりや
    収録CDタイトル:チャンスの前髪/人生の扉 発売:2007/8/8
    販売元:(株)ワーナーミュージック・ジャパン
    ※ 1)については2章でご紹介します。

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