第251回 『 日本で最も潰れやすい会社 』 5

  • 2008/01/10(木) 15:00:13

【 撮影開始の一週間前に映画は打切り 】
・ところがとんでもない事が持ち上がった。フォアマン監督は大相撲の実戦を10台余の撮影機を駆使して撮る予定で、すでに相撲協会の許可を得ていた。ある日の委員会で、横綱審議委員であるソニーの盛田昭夫会長は挨拶をした。『いよいよヘル・キャンプの撮影が始まります。よろしくお願いします。』すると突如、一人の委員から強硬な反対意見が飛び出した。『007で苦い思いをしたじゃないか!』

・それからどのような経緯を辿ったか私は知らない。『養成学校が主な舞台じゃないか』という意見もあったらしい。兔に角、相撲協会では実戦の撮影は拒絶と決まった。

・盛田会長は責任を感じ、イ.国技館を借りる。ロ.土俵は本場所と同じものを作る。ハ.数千人のエキストラを用意する、と監督に提案した。しかし紛い物の被写体にアカデミー賞監督は乗る事なく、撮影開始の一週間前に映画は打切りと決まった。そして傷心の監督は日本を後にした。

【 盛田会長は面談を拒むはずがない 】
・氏は本物しか相手にしない。当校の訓練がもしも紛い物であれば、この監督を一年間、学校に惹きつけておけない。また、アメリカ人の自分が日本人への認識を間違ったら、映像の迫力を削ぐことを氏は恐れたのであろう。『何でも自分に言って欲しい』には本物を求める氏の姿勢が表れている。

・フォアマン氏は去り、アカデミー賞の監督が訓練風景をどう描くかを見たい思いが私には残った。また、高校時代に松下電器の松下幸之助社長が来校され、その講演を聴いていた。25歳の時、東京有楽町の日劇ミュージックホールで雷族の親方、本田技研の本田宗一郎社長の熱い言葉に接していた。そしてソニー。それだけにソニー盛田昭夫会長とお会い出来るかもという期待が、指の間からこぼれ落ちていることに気が付いた…。

・それにしても浅慮であった。映画製作に全面協力をした養成学校の社長との面談を、盛田会長が拒むはずがなかったのだ。こんな事に今頃になって気が付いた…。

・17年ほど前に『地獄の訓練』のコース名を『管理者養成基礎コース』に変えた。あのワースト広告賞を得た広告も、広告予算の制約もありやめた。地獄のイメージを消したかった。
・訓練生が減る中で、持病を理由に入校をお断りするのは辛かった。特にオフシーズンには…。中には怒る方もおられたが、お客様の為にも退く訳にはいかなかった。営業がアドバイスして、お客様が持病を書かないようにした形跡もあった。講師の注意力には個人差があった。安全は徹底したつもりだが、やはり限界があるのだ。

【 それでも学校は生きのびねばならない 】
・事故は起こる。重なることもある。すると早耳の週刊誌がまず書きたてるだろう。やがてテレビも40キロ夜間行進の映像と共に、断定はしないまでも『地獄の訓練で又も事故』のテロップが流れるに違いない。彼らは当校の映像はたっぷり持っているのだ。それだけで訓練生の大半を失うだろう。そういう日が来ると私は感じていた。いや、いつか必ず来ると私は認識を変えた。

・それでも学校は生きのびねばならない。そんな事が出来るのか。私は対策を模索した。その対策が辛うじて見つかった。…何とあったのだ。

・最後になりましたが、明けましておめでとうございます。微力ですがメールマガジンに全力を尽くしていく所存でございます。(この項、続く)

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