第248回 『 日本で最も潰れやすい会社 』 2
- 2007/12/10(月) 15:00:00
【 伸び伸び、ジタバタ、型破り 】
・13日間合宿『極限の訓練』はこうしてスタートした。講師はどうするか?こんな訓練が勤まる講師などどこに居よう。やむなく講師は私が二年余りかけて育てた社員を当てた。彼らはすべてに未熟だったが、訓練生を変えたいという熱い思いが未熟さをカバーしてくれた。
・さて、『極限』は果たして売れるのだろうか? 新製品らしく、それはボツボツとはじまった。7月、8月、9月、訓練は一ヵ月に一回、7名前後の訓練生を集めて行われた。
・早番遅番の二人の講師が13日間、ぶっ通しで貼りついた。訓練が終わって東京に帰ってくると、彼らは口々に『アー、地獄だ、地獄だッ』とボヤいていた。それを聞いて私は極限をやめて『地獄の訓練』にする事を思いついた。少し危険かなと思ったが所詮、7、8人の訓練生しかいない商品なのでネーミング変更の決断は簡単についた。また『伸び伸び、ジタバタ、型破り』が当社の社是でもあった。40代前半のトップの若さが型破りのネーミングを生んだのだ。
【 週刊誌が面白がって取材に来た 】
・次いで、私は日本経済新聞に突出し広告を出した。
「 13日間合宿地獄の訓練。一人の男に18万8千円のお金
と13日間の日数をお与えください。ピカンピカンに光る男に変
えてお返しします 」
・新ネーミングは幸い経営トップの心を捉えたようであった。それは何よりも分かりやすく、イメージしやすかった。訓練生の数が少しづつだが伸びていった。
・ところがこのネーミングに興味をもったグループが他にもいた。ジャーナリストである。昭和54年の暮れ頃だったろうか、静岡県富士宮市の山の中に、どこかの週刊誌の記者が面白がって取材にやって来た。そこで彼らは少なからず仰天したらしい。
・白い訓練服に紺のズボン、ドイツ空軍の戦闘帽。山の中で20人前後の中年男性が、活発に訓練を受けている。歌を唱い、スピーチをし、ディスカッションを闘わす。更にはスーツに着替えての駅頭歌唱。そして圧巻は駐留軍払下げのリュックを背にしての40キロ夜間行進、背景には雄大な富士…。
・記者は写真を撮り、訓練の様相を面白おかしく書き立てた。すると思いもよらぬ事が起こった。これを期に新聞社がすぐやって来た。他の週刊誌雑誌が来た。やがて民放テレビ局が来た。追いかけるようにNHKが来た。それから世界中のテレビ局がカメラをかついでやって来た。アメリカも英国もフランスもソ連も数十カ国が…。
【 本校が完成し、民宿から移動した】
・年が変わると一ヵ月一回の開催が二回になった。一期20人の訓練生が40人に増え、春には100人に達した。昭和56年に訓練生の数は200人を超えた。80人いた社員は200人を超えた。その頃、静岡県富士宮市の高台に200人収容の本校建設が急ピッチで進められた。
・上級コース、指導力コース、セールス特訓コース、新人コースと新しいコースが次々に開発された。『校歌』『式典歌』『地獄の友よ』『ああ夜間行進』『旅立ちの時』と訓練歌が作られた。詩は私が書き、校長が曲を付けた。講師の訓練技術は飛躍的に進歩した。昭和56年、本校が完成し、訓練生は民宿から移動した。こうして全てが本格化した。
・『地獄の訓練』は売れたのだ。昭和48年、54年の二つの石油ショックで苦しんだ脆弱な小企業が、強力商品を得て中堅企業に飛翔しようとしていた。もう会社は簡単には潰れる事は無い。私はようやく、経営に自信を持った…。(この項、続く)
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