第222回 『 未来を予測する 』 9
- 2007/03/12(月) 15:00:00
・株式や土地住宅を取得する事は個人の健全な資産形成であり、推奨されこそすれ、非難される事ではない。また、土地住宅が上がり始めると、生涯手に入らないのではという恐怖により人は買いに走る。もちろん、値上がり益を求めてバブルに踊った者もいたであろうが…。これとてすべては自己責任で行われ、誰にも迷惑をかけていない。
・先号で述べたようにこの不況はバブルの崩壊ではなく恐慌であったが、ゲームに参加しなくても持家、持株が3倍、4倍にハネ上がり、やがて3分の1、4分の1にガタガタ下がるのを体験した国民は多かったはずだ。その分バブルの崩壊という表現が印象強いのであろう。
【 日経平均株価は10年前に比べれば6倍に 】
・それにしてもバブルはなぜ発生したか。いや発生はするが、ここまで極端に走ったのはなぜか。例えば日経平均株価は、バブルが弾ける10年前の1979年末には6,500円だった。5年後の日経平均は11,500円…。そして1989年末には、実に38,900円。たった5年で3.4倍になり、10年前に比べれば何と6倍にも…。
・株式がかくも急速に上がれば、誰だって大金持ちになるはずだ。人々は危険に気がつくべきだったが、そうはならなかった。市場には日本経済の基礎条件は特別に強いと言う意見が支配した。日経平均は7万円を目指しているという予測があり、野村證券は10万円説を唱えた。
・株式が上がり続ける現実を前に、それが常態であるとする考えが根を張った。一本調子ではなかったが、戦後45年にわたり株式は上がり続けた。遊牧民族はその住むところが日々変わり、変わることが前提である。土地に縛られる農耕民族は何百年も同じ所に住み、変わらない事を前提としている。日本人のこの特性が被害を大きくした。45年続いた値上がりはいつまでも続く、となっていった。
・また戦争をはさむ10年か15年は、日本人が株式市場から学習するチャンスを奪った。つまり客は皆、素人だったのだ。証券マンも。アナリストも…。
【 東京から土地の値が下がり始めた 】
・平成2年1月の株式市場の大発会から、株式の値下がりが始まる。翌、平成3年には土地である。まず東京から土地の値が下がり始めた。株式はともかく、土地の値下がりはペリー来航以来のショックを日本人に与えた。土地だけは戦時下にも値上がりは続いていたのだ。値下がりは東京から始まり地方都市へ、やがて全国に広がり、大都市は下げ止まったが、地方は今も続いている。
・日本の土地はいつから値上がりが本格化したか。土地がピークを付けたのは平成3年、1991年である。11年前の1980年の地価は10分の1、すなわち昭和55年に比べ、地価は11年で10倍になった。今では半ば忘れていたが20年前に体験した地価狂乱がまざまざと思い出される。特に昭和62年から平成2年までの4年間の凄さ…。10倍という数字は当時の実感そのままだ。
・しかし、その地価が3分の1になり4分の1になった。それにしても、なぜ人々はここまで買い上がったか。原因の一つは明治以来続いた土地の値上がりがあり、原因の二つには日本人の民族的特性があろう。しかしこの二つの原因では、あの最後の4年間の異常な値上がりは説明できない。より説得力のある原因がどこかにあるに違いない。それを最近、私は一冊の本の中に見付けた。ここには次のような記述があった。
「景気後退は1989年〜90年に起こると思われる。そして1990
年代の空前の不況を起こすことであろう。」(131P)
「東京の株式市場はニューヨークの株式市場よりも、現在は狂乱状態
にある。バブルがはじけた時、それはたぶん日本で始まるだろうが、そ
の打撃はいままで経験したことのないような塗炭の苦しみとなるだろう」
(1990年の大恐慌・ラビ・バトラ著、勁草書房刊 1987年10月)
(146P)(この項続く)
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