第224回 『 未来を予測する 』 11
- 2007/03/30(金) 15:00:00
・1990年、日経平均は39,000円から急落し、1997年末には15,000円に下げていた。ラビ・バトラは日本株はここから更に7,800円まで下がるとし、この予測は6年後の2003年にピタリと的中した。私は8,500円に下がった時に同書を読み、氏の予測を投資に活かせなかった。
・氏はこの時、アメリカの株式バブルが1998年末に弾けること、その値下がり幅は80%と予測した。しかし1990年に続き、氏の予測は皮肉にも再び大きく外れた。
・ニューヨーク市場のダウ・ジョーンズはブレはあったが、今も24年の長期にわたり上がり続けている。1982年1月のダウの指数は871ドル。そして今年1月は12,621ドルと実に14倍以上に跳ね上がった。
【 アメリカの株式バブルは弾けるか 】
・氏の研究によると、いかなるバブルも必ず弾けるという。またバブルが継続する期間は、通常7年間が限度としている。唯一の例外は日本の株式と不動産のバブルで、1975年から始まり実に15年間続いた…。
・アメリカの株式のバブルは弾けないのか。いや、いつか弾けるに違いない。日本のバブルが7年限界説を超えて15年続いたように、新しい記録を作りつつあるのだろう。とするならそれが弾けるのはいつか。その時、ニューヨーク
・ダウはどこまで下落するか。50%の6,300ドルか。80%の2,500ドルであろうか。もしも2,500ドルまで下落したら、世界はどうなるのだろう。企業はバタバタ倒産し失業が増大する。物価は下落を続け貿易は収縮する…。そのように考えておくべきだろう。そして、できればこれに備えておくことだ。
・私は恐慌を二度経験した。小学校4年から中学へかけての終戦直後のハイパーインフレと平成の恐慌である。終戦のハイパーインフレは誰も恐慌とは呼ばないし、その意識もない。単に 『インフレ』 と呼んだだけで、災厄の酷さの検証をウカウカと見送った。悲惨な戦場の様相や二つの原爆の殺戮が、それらをかき消してしまったらしい。
・平成の恐慌はバブルが弾けるという言葉で、再び実態の認識を曖昧にしている。またはされている。これはバブルに走った一部の者の災難ではなく、国民全体を巻き込んだ恐慌だったのに…。
【 二つの恐慌は45年の間隔で起こった 】
・実を言うと私も二つの恐慌を正確に認識していた訳ではない。ラビ・バトラ氏によって目を開かれ、本文を書くことで二つの体験が整理できた。私の二つの恐慌は45年の間隔で起こっている。5年か10年に一度の災厄なら、経験を重ねることで認識は深まり学習されるが、45年に一度の事は学習を不能にする。私の父は50歳という当時の平均寿命で病死したが、一生に一度の恐慌の経験をしても、本人は学習できないだけでなく、子に伝達されることもない。
・寿命が延び、私は55歳で二度目の恐慌を体験し、70歳にして学習できた。また国家にデータが蓄積され、専門家による分析や研究が進み、事態を正しく認識する道が拓かれつつある。恐慌の予測など我々には及びもつかなくても、専門家の警告書は読むことができる。
・戦前の日本は皆貧しく、田畑山林など生産手段は所持しても、資産を持ち、これを運営する者は僅かだった。しかし、戦後の45年間に中産階級が量産され、彼らは余資で株や不動産を取得する。こうして大量の資産家が生まれた。…その半ばはバブルにあったにせよ。また奇妙な自信が日本人に醸成され、投機の波は海外まで伸びていった。
・そこに国内のバブルが崩壊する。梯子をはずされ、被害は目も当てられないものになった。のみならず折から進行していた円高がダブルで人々を叩いた。要するに日本人が平成の恐慌をまともに喰らったのは、資産の運営にあまりに無知だったからだ。日経平均が39,000円をつけた時、我々は証券会社も銀行も更なる株高を予測したが、欧米では日本のバブルの崩壊を予測し、アメリカの証券会社は日本の株式市場で、大量の株式の売り浴せを開始した。
第223回 『 未来を予測する 』 10
- 2007/03/20(火) 15:00:00
・インドの経済学者ラビ・バトラ博士(サザン・メソジスト大学経済学教授)は1990年代に空前の不況が起こる事を予測した。日本でバブルが弾け、経験した事のない塗炭のくるしみとなるだろう…。日本のバブル崩壊は恐慌となって東南アジアを巻き込み、やがてアメリカを含む世界に波及する…。博士の予測は一部を除いてほぼこの通りになった。著作『1990年の大恐慌』において、ラビ・バトラはバブル崩壊の時期と場所をこの上なく正確に予測した。
・書物は1987年10月に発行されている。崩壊より2年2ヵ月早い。この時、10月末の日経平均株価は23,300円、10月末ニューヨークダウは1990ドルであった。
【 未来は実は過去にあるのだ 】
・ラビ・バトラはいかにして2年2ヵ月先の未来を予測したか。実は彼がバブルの崩壊を予測した本命はアメリカであった。ここでは1929年に世界的大恐慌を発生させている。彼は1920年から1929年の間のアメリカ経済を徹底的に分析する。次に1980年から87年のデータを分析し比較する。すると危機的類似性が見つかる。未来は実に過去にあるのだ。
・あの本を当時、私は読んでいなかった。経営トップとして、また個人としても、株式や不動産を保持していた。あのバブルが崩壊したとき、私は株式は手放していて難を逃れたが不動産では少なくない損害を受けた。最近入手したこの本の175Pに次の記述を見つけた。
『 5.1989年の中頃以降、すべての株、株関連の資産、および
不動産を売り払うこと。』
2年後になすべき行為がこと細かに、明瞭に記されている。この本を当時私は読んでおくべきだったのだ。もっとも、ラビ・バトラの指示した如く、すべての株や不動産を私は売り払えたか…。いずれにせよ情報処理の良い経験ができたのに。
【 80%下落するなら、7800まで下がる 】
・(恐慌に関する)博士の予測は一部を除いてほぼこの通りになった。と私は先に書いた。ところがここに皮肉な事が起こる。一部の国の中にアメリカがあったのだ。そしてアメリカこそ、博士がバブル崩壊の本命としていたのだ。予測はやはりはずれる事もある…。
・ラビ・バトラ博士は1998年1月、『1998−2000株式大暴落 』(たちばな出版)を書いた。ここで博士は再びアメリカの株式バブルの崩壊を予測し、1998年夏、または年末のクリスマスと正月あたり、世界の株式市場が崩壊するとした。その値下げ幅は80%ぐらい暴落するかもしれない…。1930年代と同じレベルに。『日経平均が1989年に達したピーク、39,000の80%下落するなら、その指数は1997年末の15,000から7,800まで下がることになるだろう。』 ラビ・バトラ
・私は8号で次のように書いた。『 やがてバブルが弾ければ価格が急落し、目の眩むような崩壊が始まる。39,000円の日経平均が、たったの7,800円へ…。』私は過去の事実を書き、博士は未来を予測した。博士の予測、日経平均7,800円はドンピシャリとなった。5年後の2003年4月末に予測は適中した。ラビ・バトラはその神業を再び日本人に示したのだ。
・その著 『株式大暴落』 を私はまたも読んでいなかったか。忘れていたが、実は本を買っていたのだ。書棚から本を取り出し、私は頁を繰ってポイントを拾い読みした。そして『日経平均が1997年末の15,000から7,800まで下がる』 という記述を見つけた。念の為に本の最後を開いてみたら、次の記述があった。
2003年1月3日読了。 財部一朗
・2002年 10月末 日経平均 8,640円
12月末 〃 8,570円
2003年 3月末 〃 7,970円
4月末 〃 7,831円
(この項続く)
第222回 『 未来を予測する 』 9
- 2007/03/12(月) 15:00:00
・株式や土地住宅を取得する事は個人の健全な資産形成であり、推奨されこそすれ、非難される事ではない。また、土地住宅が上がり始めると、生涯手に入らないのではという恐怖により人は買いに走る。もちろん、値上がり益を求めてバブルに踊った者もいたであろうが…。これとてすべては自己責任で行われ、誰にも迷惑をかけていない。
・先号で述べたようにこの不況はバブルの崩壊ではなく恐慌であったが、ゲームに参加しなくても持家、持株が3倍、4倍にハネ上がり、やがて3分の1、4分の1にガタガタ下がるのを体験した国民は多かったはずだ。その分バブルの崩壊という表現が印象強いのであろう。
【 日経平均株価は10年前に比べれば6倍に 】
・それにしてもバブルはなぜ発生したか。いや発生はするが、ここまで極端に走ったのはなぜか。例えば日経平均株価は、バブルが弾ける10年前の1979年末には6,500円だった。5年後の日経平均は11,500円…。そして1989年末には、実に38,900円。たった5年で3.4倍になり、10年前に比べれば何と6倍にも…。
・株式がかくも急速に上がれば、誰だって大金持ちになるはずだ。人々は危険に気がつくべきだったが、そうはならなかった。市場には日本経済の基礎条件は特別に強いと言う意見が支配した。日経平均は7万円を目指しているという予測があり、野村證券は10万円説を唱えた。
・株式が上がり続ける現実を前に、それが常態であるとする考えが根を張った。一本調子ではなかったが、戦後45年にわたり株式は上がり続けた。遊牧民族はその住むところが日々変わり、変わることが前提である。土地に縛られる農耕民族は何百年も同じ所に住み、変わらない事を前提としている。日本人のこの特性が被害を大きくした。45年続いた値上がりはいつまでも続く、となっていった。
・また戦争をはさむ10年か15年は、日本人が株式市場から学習するチャンスを奪った。つまり客は皆、素人だったのだ。証券マンも。アナリストも…。
【 東京から土地の値が下がり始めた 】
・平成2年1月の株式市場の大発会から、株式の値下がりが始まる。翌、平成3年には土地である。まず東京から土地の値が下がり始めた。株式はともかく、土地の値下がりはペリー来航以来のショックを日本人に与えた。土地だけは戦時下にも値上がりは続いていたのだ。値下がりは東京から始まり地方都市へ、やがて全国に広がり、大都市は下げ止まったが、地方は今も続いている。
・日本の土地はいつから値上がりが本格化したか。土地がピークを付けたのは平成3年、1991年である。11年前の1980年の地価は10分の1、すなわち昭和55年に比べ、地価は11年で10倍になった。今では半ば忘れていたが20年前に体験した地価狂乱がまざまざと思い出される。特に昭和62年から平成2年までの4年間の凄さ…。10倍という数字は当時の実感そのままだ。
・しかし、その地価が3分の1になり4分の1になった。それにしても、なぜ人々はここまで買い上がったか。原因の一つは明治以来続いた土地の値上がりがあり、原因の二つには日本人の民族的特性があろう。しかしこの二つの原因では、あの最後の4年間の異常な値上がりは説明できない。より説得力のある原因がどこかにあるに違いない。それを最近、私は一冊の本の中に見付けた。ここには次のような記述があった。
「景気後退は1989年〜90年に起こると思われる。そして1990
年代の空前の不況を起こすことであろう。」(131P)
「東京の株式市場はニューヨークの株式市場よりも、現在は狂乱状態
にある。バブルがはじけた時、それはたぶん日本で始まるだろうが、そ
の打撃はいままで経験したことのないような塗炭の苦しみとなるだろう」
(1990年の大恐慌・ラビ・バトラ著、勁草書房刊 1987年10月)
(146P)(この項続く)
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