第213回 『 健康を管理する 』 5

  • 2006/11/28(火) 15:10:00

【 新円切替えが、人々を鮮やかに裸にした 】
・日本人の喫煙率は現在26.3%、11年間連続して過去最低を更新したと、日本たばこ産業(株)が発表した。男女別では男性41.3%、女性12.4%で、いずれも過去最低だという。調査は65年に始まり、男性のピークは66年の83.7%…、つまり40年かけて喫煙者は半減しているという。なるほどなあ、人間は考え方を変えると行動や習慣が変わるんだ。しかも大幅に変わっているではないか。

・当時人々はたばこに対しどのような考え方をしていたか。66年といえば私は29歳、喫煙を始めて10年であった。20歳を目前にした若者の価値観は第二次大戦と、それがもたらした物資不足という体験にあった。腹は常にすいていたし、ご飯には大豆や大根葉が詰まっていた。街には闇市が立ち、復員軍人や傷痍軍人があふれていた。わずかの資産は戦後の激しいインフレによって露と消え、新円切替えが、人々を鮮やかに裸にした。

【 兵士が若い命を戦場で散らす事で、独特の人生観が 】
・人はまず食う物、着る物、そして住む家を求めてあがいていた。健康とか衛生などの言葉は誰の頭にもなかった。多くの兵士が若い命を戦場に散らすことで、日本人にこれまでにない人生観が生まれた。「太く短く」である。いずれ死ぬ身、できる時に何でもしておこう。
・人は娯楽を求めたが、楽しみは映画かラジオぐらいしかなかった。必然的に人々は酒に慰めを求め、たばこを喫した。酒は強い者が英雄であり、飲めない者は半人前だった。拉致被害者、曽我ひとみさんの夫ジェンキンス氏が得意気に喫煙する映像には、当時の日本の姿が浮かぶ。以上が40年前の喫煙率、83.7%を記録した背景である。

・大人になる事は、若者が欲しい物を手に入れる唯一の方法であった。その大人の嗜む酒とたばこは好奇の的、大人の証であり、成人すれば必然的に手を出した。
・今、時代は変わり、人は80年を生きなければならない。しかも楽しみは多岐にわたる。そういう流れの中で男性の喫煙率は半減していた。…凄い事というべきだ。特に注意すべきは年代別。男女60歳以上の率33.8%に対し、20代では僅かに13.6%である。このままいくと日本から喫煙者がいなくなるのかも…。

【 阪神大水害に遭い、大戦を経験し、阪神淡路にやられた 】
・1995年、阪神淡路大震災の折、私の10歳年上の知人が罹災した。後に上京した折、氏は『自分は谷崎潤一郎の細雪に描かれた、昭和13年の阪神大水害に遭い、第二次大戦を経験し、今また阪神淡路にやられました」と語っていた。そういえば阪神淡路に罹災した人がその後東京に転勤になり、かの地下鉄サリン事件に遭遇したという記事を読んだことがある。
・阪神淡路もサリンも大災害に違いないが、いずれも局地的で日本国民全てを巻き込んだものではない。全国民の災害は何と言っても第二次大戦であり、戦場の兵士だけでなく空襲により民家が焼かれ、数十万人の市民が死亡した。また多くの者が飢えに苦しみ、最後には二発の原爆が落とされている。

・戦争以外に国民を巻き込んだ災害には、かつてどんなものがあったか…?その一つは先に述べたが戦後の激しいインフレであろう。戦争により物資は費消され、工場などの生産手段は焼失した。加えて外地から数百万の兵士や市民が引き揚げてきた。物が極端に不足すれば激しいインフレが起こらざるを得ない。年間100%超のインフレとは1円の物が2円になり4円、8円、16円である。しかし戦後のインフレはもっと激しく、昭和10年の卸売物価水準を基準とすると昭和20年の終戦時には3.5倍、24年には208倍のハイパーインフレが何年も続いた。つまり、10年前に10円で買えたものが、昭和20年には35円、昭和24年には2000円を越えていた…。国民生活は完全に破壊されたが、死の恐怖から解放され、人々はその日の糧に集中していた。

・全国民を巻き込んだ第三の災害は、ハイパーインフレーションのおよそ40年後に日本を襲うが、それはまた次号で触れたい。(この項続く)

第212回 『 健康を管理する 』 4

  • 2006/11/14(火) 15:00:00

・癌は、存在が確認されこれを切除し、リンパ腺や他の臓器への転移が認められなければ、この時点で患者ではなくなる。少なくとも再発するまでは…。しかし臓器には胃のように単純なものだけでなく、また癌には転移しやすい強いものもあり、切除をもって癌患者か否かの線引きはできないが…。手術後まもなく、私の癌に転移がないことが確認され、癌患者におさらばした訳である。では癌患者でなくなって、私は何になったのだろう。
・体重は10キロ落ちていた。身体の諸機能も低下していた。リンゲル注射からやがて流動食へ…。それはまぎれもなく入院している病人であった。私は手術後20日余りで退院したが、この日をもって病人とさよならしたわけではない。それは多分退院後2ヵ月位だったであろう。私は自宅を仕事場としているので、この日から出社した訳ではなかったが…。

【 天が与えた節酒のチャンスを、ウカウカと見逃していた 】
・病棟で私は歴とした病人であったが、同時にもう一つの呼称を持っていた。それは身体(?)障害者である。手や足やその他の機能を何かの事故で失った人である。彼らの治療は受けた障害の治癒と、失った機能を器具または器官によって快復することである。右手を失えば左手で字を書かねばならない。字だけでなく生きる為には料理をせねばならない人もいる。リハビリである。そしてリハビリの目的は不自由なくという事であった。
・胃を失った私の場合、小腸が消化を受けもった。執刀医は食事は一日3回でするように言った。5回に分けるのはそれだけ実生活で不自由をする。訓練でそれが出来るのにそれをしない事はない…と。それから常に身体を動かすように。例のリンゲル液の滑車を引っぱって病棟を歩き、小川に青鷺を見に行くのが私のリハビリの始まりだった。少食になったが、食事は三度で攝っている。

・手術後、酒は身体が欲しがらないし、受け付けなかった。しかし退院2ヵ月が経った頃、掌に収まる位の小さな缶ビールを飲んだ。それが一晩の適量であった。こうして40年間続いた酒との縁が、ほぼ一年間切れた。体調はすこぶる良く、40年振りに毎日をいきいきと送ることができた。親は健康に生んでくれたというのに、せっかくの人生を酒で台無しにしていた。酒の害を、そのときつくづく思い知ったはずだ。しかるに、身体の快復と共に酒量は増えていった。天が与えた節酒のチャンスを、私はウカウカと見逃したのであった。

【 素人の勝手判断と専門家の説明不足 】
・術後、抗癌剤が処方され時々血液検査を受けた。薬の量はそれなりの量があった。私は一年ほど通院して、「もう大丈夫だろう」と通院も薬もやめてしまった。その数年後、一人の友人がどこかのクラブで知り合った医大の薬学部長の次の言葉を教えてくれた。「抗癌剤の有効性は40%…」40%が4割の人を指すのか、弱性の癌なら有効というのかはっきりしない。しかし有効性40%は説得力を持つ数字であった。すなわち私は名医の処方の抗癌剤をやめてはいけなかったのだ。素人の勝手判断は危険であり、私はやはり癌患者だったのだ。それにしても専門家の説明は常に不足する。これには、素人は具体的な質問を忘れないことである。

・先日、私は私を含む5人の幹部と会食をした。このうち私を含む3人が一晩7合の鯨飲派であり、食事には酒が出た。私はお燗を一合、ゆっくり飲み、追加を注文しようとしてフト気がつくと、7合派の一人の妙な動作に気がついた。同じく徳利でやっていたが、まず杯に酒を半分ほど満たし、鯨ならぬ小鮒のようにちびりちびり舐めていた。しかも徳利にはまだ酒が残っている…。
「えーッ、あなたも節酒、やってるんですか?」私は思わず声をあげたが、しばらくして7合派の非常勤の役員氏がビールをすするように飲んでいるのに気がついた。
「あれっ、先生も私のメルマガ読んでいるのですか」
「私は初回からずっと読んでいます」
「それで節酒をしてるんですね」

・私のメルマガの受信者は現在3,600人である。かつては読者からいろいろご意見を頂いたが、最近はぱったりご意見が途絶えていた。メルマガを書く度に身近な人に感想を聞くようにしているが、闇夜に鉄砲の心許なさがあった。それだけに目の前の鯨派の2人の小鮒派への変身には少し感動した。…もしかしたら3,600人の読者の中には、何人かの人が節酒や禁煙に成功しているかもしれない。こんなことは教育屋冥利につきるというものだ。(この項続く)

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