第183回 『 生涯の財 』 2

  • 2005/09/27(火) 15:00:00

・学校教育は十数年の長期にわたるが、受けた教育が社会ではほとんど役に立たない。学校では下手な知識の詰込みより社会で役に立つ教育をするべきだ。教育者は万人に役立つ学習はないとするが、例えば英語があるではないか。…英語に力を入れ、せめて話すこと聞くことが出来るようにしてもらいたい。
・例えば 「話す」 能力…。会社では話す能力は極めて重要、説明能力は随所で求められる。しかし、多くの人は話すことを苦手としており、学校で教えられない。
・医学も科学も日々進歩する中、数十万人の教育者は独り眠り続け、人々の期待に応えていない。以上が前号…。

【 聞く能力の重要性 】
・話す能力が重要となれば、次は聞く能力である。聞く、とは誰でもできる地味な能力のようだが、その重要性は話す能力と変わらない。
・営業マンはお客様の質問や注文を聞いて、その要望を正確につかまなくてはならない。上司の説明をつぼを押さえないで聞いていると、部下の仕事は間違いだらけになる。管理者は周囲から情報や意見を聞き、事情を正しく掴まねばならない。聞き間違えればお客を失い、事情を知らなければ判断を誤る。ビジネスで聞く能力は、このように重要性は高い。

【 聞くは簡単か 】
・人に意見を求めるには、出かけていく積極性と小さくないエネルギーを必要とする。自分と異なる立場の人の意見は敬遠したい。特に、耳に痛い言葉はなおさらだ。しかし、自分と同じ考えならわざわざ人に聞く必要はない。考えが違う所に価値ある情報、アイデアがある。そして刺激があり、より良い発想を得ることができる。
・話し手はたいてい話し下手である。その内容はとりとめなく説明の不備や語られない部分が随所にある。聞き手はこれらを補い、あるいは論理の矛盾を整理して聞きわけねばならない。ひょっとすると、聞く能力のむつかしさは、話す能力よりも上かもしれない。

【 感受性を持つ 】
・人の話を聞く上での巧拙は、聞く技術やテクニックよりも、その人の人間的な資質にある。その一つは好奇心を持っているかである。好奇心があれば人は良く知りたいであろうし、自然に熱心に聞くことが出来る。熱心に聞かれれば誰でも喜こんで情報を話してくれる。
・二つ目は彼がそのテーマに問題意識を持っているかである。問題意識とは生活や仕事で取り組んでいる事、悩んでいる事であり、これと接点があればその話は他人事ではない。普通の人が聞き流す事にも、彼は興味深い教訓を引き出す。人生に問題意識をたくさん持つ人は、良き聞き手として人々に歓迎される。では問題意識がなければ良き聞き手になれないのか。そんな事はない。語られる話の背景は想像力によって補うことができる。要するに感受性があれば良い聞き手になれる。
・ところで聞く能力に優れると、それは彼に何をもたらすであろうか。人によって与えられる知識は、経験に裏打ちされた良質な知識である。良く聞く人は生涯にわたり、知識や情報の枯れることのない源泉を持つことになる。(この項、続く)

第182回 『 生涯の財 』

  • 2005/09/13(火) 14:53:00

・“漢字、英語、算数から昆虫、京都、地図まで…。 大人の検定受験ブームを背景に、さまざまな検定試験にチャレンジする小学生が急増している。平成16年度、日本漢字能力検定(漢検)を受験した小学生は、約25万人(全220万人)で、4年前の2.5倍に増えた。「授業では得られない達成感や成功体験が、子供のやる気や学習意欲の向上につながる(一部抜粋)」と学校ぐるみで取り組む動きも活性化している” 先日、産経新聞で目にした記事である。

【 自らをモチベート 】
・このような動きが活発になっている背景には何があるのか。テレビ、ケータイ世代の漢字離れが原因であろうか、批判の声がある 「ゆとり教育」 の弊害に対する自衛か。今、子供の学力低下が現実のものとなり、これに対し有効な教育方法が見つかっていない。…このような不安が人々を動かしているのではないか。
・期末試験の受動性に比べ、検定試験は生徒の積極性に基礎を置く。それが子供の学習意欲の向上につながるとしたら、結構なことである。いや、事は小さくとも、画期的なことかもしれない。医学も科学も金融も農業でさえ、各分野で技術は日々進歩し、その成果を世に問うている。しかるに学校教育界からはこの30年間、ほとんど何の報告もない。知的レベルの高い数十万人の教育者はこの期間、眠り続けている。この小さな成功をテコにして、教育という本業の分野でも改革を期待したい。

【 万人に役立つ学習テーマ 】
・学校教育は高校まで12年、短大は14年、大学までは16年という長期にわたる。こうして教育された身をひっさげて世にでるのだが、受けた教育が実社会でほとんど役に立たない現実に呆然とする。医学、工学、建築など少数の専門・技術教育を除いては、99%の人々には役に立っていない。確かに新聞は楽に読めるが、それなら中学を卒業すれば充分であろう。

・学校教育者は私の不平に何と答えるであろう。世の中には数万種類の職業があり、数万の講座は準備できない。確かにその通りだ。しかし私が求めているのは数万の講座ではなくヒトケタの講座である。一つの講座で万人に役立つ学習テーマなど存在しないと言うのであろうか。そんなことはない。例えば英語はまぎれもなく万人に役立つ学習テーマである。こういうものをいくつか探せばよい。英語について一言述べれば、大学までの10年学んで、99%の人々は話すことも聞くことも出来ない。グローバル化の時代というのに、こんなことを60年間も続けている…。 何という停滞した業界であろう。

【 学校で忘れられた話す能力 】
・万人の役に立つ学習テーマは英語だけではない。教育界は思考を停止しているから考えが及ばないが、こういうテーマは1ダースはある。例えば「話す」能力、これは学校教育ではほとんど忘れられている。ところが社会、特に会社では話す能力は極めて重要で、物事の説明能力は随所で求められている。
・この能力に恵まれている人は、たとえば管理職への道が開かれている。反面、話力に恵まれない人への評価は低く、損が生涯ついてまわる。話す能力は重要なだけでなく貴重でもある。つまり多くの人がこれを苦手としているのだ。学校教育では知識の詰込主義を取り、大事な能力開発はきれいにカットされている。本来、逆であるべきなのに、何という安易さ。(この項、続く)

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