第154回 『 平成2年のバブル不況 』 8

  • 2004/08/31(火) 15:00:00

・第三策である。そもそもデータ主義とは何か。それは部門経営を成功に導くセオリーで、私が勝手に名付けた。私は当社の経営の現場に入り込んで、そのセオリーと具体的ツールを研究していた。会社再建は至上命令であり、これを実現するため私が当時、これを最も必要としていた。平成12年、このセオリーの骨子がようやく固まった。これを忠実に実践するなら売上と利益は好転するはずだ。私は12の部門にセオリーを忠実に実施させねばならない。

【 新人の回転は激しく、与える仕事は半端でない 】
・マネージメントで営業部門の経営はどこの会社でも難しい。まず営業は各部門の業績が安定しない。順調だった部門が悪くなり、悪い部門がなぜか良くなる。新人の回転は激しく、与える仕事は半端でない。そして常に問題を抱えている。当社もその典型だった。12人の部門長はそれぞれのやり方で部門を動かしていた。やり方はバラバラだが、皆よく似ているようでもある。見よう見真似で覚えたものだ。
・彼らに経営に見識を持つ人はほぼいない。経営に確信を持つ者は一人もいない。それは当社の12人だけでなく、日本の120万人の部門長に当てはまるかもしれない。売上、利益というかなめの部門の指揮官が、指揮の知識をもっていない…。 大げさに言えば企業の重要課題というべきだろう。

・セオリーの原理はこうだ。自分の部門を動かすには自分の部門を知らねばならぬ。当然のようだが、それがなかなか難しい。部門は人と同じく、動いているし、変化している。部門を知るには、データという数値に落として認識することで可能になる。
・…様々な角度から部門の動きを数字で示してみる。すると問題点が浮かびあがる。賢いデータは進むべきか退くべきか経営の舵取りをしてくれる。データ主義は、経営の科学的管理法である。
・ところで何故データなのか。100人を率いる部門長はデータがなければ管理できない。故にデータだ。8人の部門長はどうか。データが必要かどうか微妙かもしれない。では部下が4人なら…。 データ不要派が多いであろう。しかし部下が1人でもデータは必要だ。一年前の彼の数値をあなたは覚えているであろうか。それが曖昧ならその指導の正当性にいかなる根拠があるだろうか。

【 営業の現場で 】
・営業の現場で、はじめて売上の目標設定と達成の問題にぶち当たった。平成8年、ビデオ教材として発売したテーマであった。当社の実践は不十分、私はお詫びせねばならない。目標設定と達成に取り組んで、このテーマの難易度の高さに驚いた。このテーマを克服したビジネスマンや学者はいるのだろうか。普通のビジネスマンで、私は聞いたことがない。人並み外れた能力のリーダーには可能かもしれないが、経営理論は普通のビジネスマンが正しい手順を踏むことで可能となることを前提とする。するとこれを実証したのは、私が初めてかも知れない。
・数字を上げるためには目標一本ではとても足りない。私は船倉を見て回って、新たな欠陥を発見した。その一つ一つを塞いで海水の浸水を防いでいく。そして一つの欠陥には二つ以上のデータを必要とした。

・目標設定やデータ主義はこうして洗練されていった。一方私は全社にデータ主義を浸透させるのに苦心した。小さなノウハウが沢山あり、忘れたり扱いを誤ると効果が出ない。そこで我々は教育を重ねた。こういう苦心の中から、私たちは思いがけず四本の新商品を得ていた。
イ.後継者の社長学          平成12年6月完成
ロ.目標設定 …そしてその実現     平成12年9月完成
ハ.データ分析 『35例』 数値管理  平成13年3月完成
ニ.判断、決断そして問題解決学    平成13年3月完成

第153回 『 平成2年のバブル不況 』 7

  • 2004/08/24(火) 14:50:00

・業績を拡大トレンドにのせよ…。 トップ兼研究員の私に、にわかに与えられた至上命令。不況の中、命令とあらばあらゆる策を駆使せねばなるまい。
・私は営業部門に初めて足を踏み入れ、営業の実態を知る事から始めた。所がそれを知る者はここには誰もいない。とにかく部門長が自部門を説明できないのだ。やむなく必要なデータを部門長に作らせることから始めた。
・データはどんなものをどのように作るのか、どこにもモデルも師もいなかった。やむなく、独自の手作りで工夫を重ねた。これで部門の実態が少しずつ見えてき た。こんなデータは10年前から積みあげておくべきだった。トップとして怠慢だった。私が先頭に立って事を進め、三年四年のうちデータは何十種類も作られ役に立った。

【 社内の無用な対立は半減、マネージメントは一新 】
・例えば悪業績の部門のデータを調べていて、入社5年の二人の成績がパッとしないことに気がつく。入社以来、二人は一貫してパッとしなかった。部門長は強く反対したが、私は二人を解雇にした。ここには部門長の幾重の怠慢がある。学校という後楯があるのに新人を育成できない。また雇傭を続けるという判断が悪い。早く解雇すれば会社には経費を、二人には人生の数年を節約できたのだ。更に部門は楽しみな新人を二人採用できたのに…。 部門を良くするチャンスをことごとくつぶして。トップの目が届かないと、こういう事が発生する。
・営業について分からないことがあると、私は必ずデータを作った。何かを決めねばならない時もこのようにした。これにより私たちはカンや主観でなくデータにより進むべき進路を探り得た。何が正しく何が誤りか、社内の無用な対立は半減、マネージメントは一新した。私はこれをデータ主義と呼び、有力な第一策であった。

【 学校に新人の育成を丸投げしていた 】
・第二策である。当社には学校という隠し玉があり、新人の教育は万全であった。社員はどこの企業よりはやく訓練され、育成されているはずだ。しかし上記の件があって私はここに疑問を持った。毎月送られてくる営業の売上表を部門別ではなく全営業にし、更に入社年別にしてもらった。そこに並んだ数字は訓練により効果が持続するグループと、時間とともに元に戻るグループの存在があった。元に戻るグループには部門長のフォローが必要となる。そのフォローが十分でなかった。
・部門長はどこの会社でも新人の育成を主たる任務としている。だんだん分かってきたが、当社の部門長は新人の育成を学校に丸投げにしていたらしい。私は彼らが部下指導にあまりに弱腰なので、気がついた。部下に注意ができない。…それは実に学校創業以来の事であった。私は溜息をついて新人育成のシステムづくりを始めた。
・売上を結果ではなく経過で管理する。それは平成13年に本格化し、今も続けているが、そのやり方の詳細は前号で詳述した。なおはっきりした効果を得るにはもう少し時間がかかりそうだ。

第152回 『 平成2年のバブル不況 』 6

  • 2004/08/10(火) 15:00:00

・平成9年、再び不況が襲った。回復を示していた当社の売上が再び縮小に転じる。不況の到来を、私はいつになく早い時期に察知していた。日と共に不況は深刻化していた。売上が縮小トレンドにある会社には、事態は深刻かつ待ったなしだった。私の任務は 「縮小トレンドを拡大トレンドにのせる」 事であり、それ以外にはない。

【 森の中の古びた部門 】
・すでにお話ししたことだが、営業部門に私は一度も立ち入っていなかった。それは古色蒼然とした埃の中にあり、ここで何が行われているかよく分からなかった。パンドラの箱の如く、一旦手をつけたら悩ましい問題が次々にとび出してくる。トップの私は、これらの問題を逃げることはできない。だからここに近づくのは勇気がいった。
・拡大トレンドにのせるのはどうやってやるのか。それにはあらゆる方法を駆使して行うしかない。だからこそトップであり、どこの部門にも否応なく入らねばならない。こうして私に突然の任務が発生した。とりあえず私は営業という森の中の古びた部門を探し当て、そこのドアーをノックした。

・営業部門は事務員も含めて 150人、この人たちが売上年間27億の数字を作っている。この数字を1%でも2%でもあげねばならない。このための対策を私は決める…。それには営業の実体をつかまねばならない。しかし肝心のデータがこの程度しかないようだった。当社の社員250人の中の60%が150名である。全体の60%の部分について何も分からないとしたら、当時、会社そのものが私のコントロール下にあるとはいえなかった。

【 データは主観や思い込みを修正した 】
・営業部門の現状について経理部が作る月々のデータはあるが、専門性が強くて使用できない。次に棒グラフを作った 「表」 が他社で使われている。思い出してこの表を作ってみたが、これは数字の変化を部外者に一目瞭然にしたもので、現場の作業者のものではない。
・営業に関する資料は保存されていた。知りたいテーマの実態を数値で知りたくても、資料は一目で分かるようになってない。このままではマネージメントの役に立たない。実態が一目でわかるように、資料をデータに処理せねばならない。こうして私は初めからやり直しをはじめた。一枚のデータを作ると、思いがけない実態を見る事ができた。これにより様々な主観や思いこみを修正できた。データがいかに大切かを我々は認識した。

【 営業のメカニズムが鮮明に 】
・私の最初にやる作業はハッキリした。 「データの収集と分析」だ。 平成9年、10年と2年がかりでデータを40種類作った。1つの数表を作るのに何日も苦しみ、事実を伝えるデータを作った。部門別ユーザー売上の増減が一目で分かった。新規売上の実態も…。それだけむくわれる作業でもあった。霧のかなたにおぼろげにしか見えなかった営業のメカニズムが、誰の目にも鮮明になった。
・資料は目的によってデータに処理される。そのデータは一つの目的に対し一、二枚である。 営業部門に対し、私が知りたい情報が100項あるとしたら、私は100枚のデータを必要とする。
・以上を私はデータ主義と呼んだ。このデータ主義が営業部門の管理を科学的なものに変えた。とにかくデータを作ってみよう。私たちはこう言って必ずデータを作って意思決定した。…不思議だ。これだけやってもこの2年、売上は低下した。

第151回 『 平成2年のバブル年不況 』 5

  • 2004/08/03(火) 15:00:00

・部門には上下二種類の人間が存在する。しかし二種類の人の棲み分けは易しくない。たとえば営業という仕事は難しく、育成もやさしくない。新人がこれを学ぶには、正しく効率よくやって3年はかかる。そうでなければ5、6年かかり、脱落する者も少なくない。では新人はどのようにして仕事を学ぶか。
・新人には目標が与えられる。新人は、自分の1ヵ月の目標を達成する過程で仕事を覚える。具体的なやり方はオンザ・ジョブで上司に教えてもらう。 上司は毎月の目標達成を指導し、3年で新人を育成する任務を持っている。上と下は、協力して目標を達成しなくてはならない。その作業に誠実でなくてはならない、のだが…。

【 嫌がる者と恐れる者 】
・下は営業のやり方に、上から口を出されるのを嫌がる。半年もたつと、上の言葉数が増えると露骨に嫌な顔をする。上司は、そんなやり方では売れないヨという言葉を呑みこむ。部下との関係を悪化させるのを恐れて…。嫌がる者と恐れる者は、肝心の目標達成というテーマについて口をつぐんでいる。
・新人とは仕事を十分には知らないし、今のところ技術は未熟だ。管理者とは新人より仕事の経験を積んでいる。彼は何をすべきか、いかにすべきか、いつまでに、どの位の量かを知っている。 しかし、彼らは早々に妥協を始める。
「先月、新規は1件だったね。今月は…? 2件できるよネ」 「やるだけ、やってみます…」目標値は下がり、妥協と安易な会話を交わす。営業は生半可ではないから目標に達しない。

【 計画の重要さ 】
・目標達成という言葉は本当に甘くない。目標は上下が論議を交わさなくては、結果は出ない。失敗しないように十分計画を練る事、大切なのは2人は話し合うことだ。この過程で時にぶつかる事もある。しかし、この研究と実行のくり返しが仕事をうまく運ぶ。

・日々の計画の経過の中に無駄や問題を見つけたら、その都度協議し、工夫改善を加えていく。計画が密になればそれは自然に経過管理に変質する。経過を目標に定める事で結果が出せるようになる。結果管理では一人前の営業マンを育てにくいのが日本企業での現状である。

【 厳しい戦場をさ迷う 】
・日本人は営業的センスに残念ながら恵まれていない。営業マンが育ち難い原因の1つはここにある。 日本固有の文化、日本人固有の性格が関係している。我々は子供の頃から控えめでいる事を美徳とした。沈黙は金、雄弁は銀だ。自己を主張したり、自分の長所をアピールをする習慣が身についていない。家庭でも学校でも躾の項目にない。こうして社会的訓練が無い者がいきなり営業のフィールドに立たされる! 途惑うばかり、有効な売込みの方法を知らないまま、厳しい戦場をさ迷い歩く。そうして疲れ果てて勝算のない戦線を退く。

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