第149回 『 平成2年のバブル年不況 』 3
- 2004/07/20(火) 15:10:00
・企業のトップは目まぐるしく流れる業務の中から、組織を蝕む危険因子を拾い上げる。彼は必要なチェックや処理を施して、求める価値を創っている。トップが危険因子を拾いあげるには仕分け機が必要となる。ただしトップの企業活動は多種多様、あらゆる面に及ぶため、単純な仕分け機では役に立たない。とするなら、トップが現に使っている仕分け機はどのようなものか。
【 数千社の規模で倒産に導く不況 】
・その答えは概念である。概念…? そう。仕事場で使われる言葉に対し、彼が抱いている考え方や、価値観、つまり概念に依存している。たとえば品質、クレーム、不況など数百の言葉がトップに関係する。その言葉一つ一つにトップは濃淡さまざまな概念を抱き、それらはトップにより異なっている。若いトップの未熟なものもあり、間違ったものもある。中には一人よがりの傲慢な概念があり、経験に裏打ちされた老練な概念もある。
・トップは自らの概念に従って、時に笛を鳴らして試合を止め、チェックと指示を与える。あるいは笛を鳴らすのをためらったり…。そして結果の責任はトップが一人で負っている。その概念が貧弱なら経営も貧弱に。概念がしたたかなら、経営もしたたかに…。
・不況についてである。トップは誰でも不況に一般概念を持っている。不況は一定期間、居据わって人、物、金の流れを停滞させる。これにより放漫経営の会社や、健全でも対処を誤る企業を数千社の規模で倒産に導く。(経験則1)。トップにとって最も怖いものは倒産だから、不況の予測と不況対策は重要である。トップはいち早く不況を予測し、不況になれば正しく対処し、企業を安全に運営する…。 常に不況に備えるならさらに良し。
【 昭和の不況は小型で、少ない 】
・不況には大小の差があって(経験則2)、定期的に来る(経験則3)と感じるのが一般的だろう。それらは昭和期に経験則として身に付けたものだ。しかし先号で見たように、昭和不況はいずれも小型であったと修正する。また不況は定期的に来ると感じているが、昭和50年代に入ると不況の記憶が少なく、不況は少なかったと修正したい。
・しかし昭和期にも大型の不況があった。昭和48年のオイルショック不況がそれだ。日本経済に残した傷も、当時としては小さくない。この時、当社は事業所の半分を閉鎖して対処した。危機に際して、見栄や外聞を捨てなくてはいけないと考えた。対策を打つタイミングが遅れ、会社を危険にさらすのは得策でない。当社は徹底した対策と素速い決断で無用の危機を避けることができた。…と、思った。この不況を生き抜いた経験から、私は二つの教訓を得た。徹底対策、素速く決断。(経験則4)。
・この深刻な不況を生き延びて私はホッとした。これで大型不況は10年、20年は来ないだろうと思った。事実、それから15年間、大型不況は来なかった。大型不況は連続しない。(経験則5)。
【 大型不況が連続した 】
・平成2年、日本は久しぶりに不況に襲われる。しかも大型、バブル景気の揺り戻しもあって超の字のつく大型となった。企業がバタバタと倒産していった。多くの企業が昭和に経験した過去の教訓を引っぱり出し、対処した。平成一番の大型不況を、それでも多くの企業が生きのびた。
・企業がホッと胸をなで下ろした矢先、再び不況が来る。平成9年だ。それはいい。しかし、一年たって不況は金融不安となり、いっぺんに深刻化した。更にデフレスパイラルにより、不況は長期化した。大不況が二度続いた。平成になり不況の神話が覆される。これはどういう事であろうか。大震災は矢継ぎ早に襲い来るものではなかったはずなのに…。
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