第147回 『 平成2年のバブル年不況 』 1

  • 2004/07/06(火) 15:40:00

【 お祭りはツケで行われ、厳しい取立てが 】
・昭和61年、東京など都市を中心とする地価が値上がりを始めた。値上がりは地価から株式、ゴルフ会員権にまで及び、日本列島が暴騰する…。バブルの発生である。しかし、このお祭りが実は「ツケ」で行われ、日本経済に後に厳しい取立てが待っていようとは、日本人の誰もが気がついていなかった。
・バブルは平成2年崩壊を始め、同時に、日本経済は不況に襲われた。この不況はこれまでの不況と違う特徴を3つ持っていた。第一に、日本でかつて経験したことの無い大型不況であった。すなわち、被害はこれまでの不況の比でなかった。第二に、不況はたっぷり4年以上の長期にわたって居座った。第三に、数千万人の個人を巻き込み、彼等が営々として築いた個人資産を破壊した。

【 今思うとこの判断が誤りであった 】
・平成6年、日本経済はようやく回復に向かう。売上を半分に減らしながらも、多くの企業が苦境を切り抜けて生還した。当社もこれによって救われたのである。
・生き延びた企業の経営トップは、大型の不況の凄さ、4年間の長期戦を振り返ったはずだ。トップはそれぞれ、ここから何を学んだか。教訓は多岐にわたったであろう。そしてこの不況を生き延びた経験は、以後何よりの財産となろう。 いずれにせよ数十年に一度の大不況は終わったのだ。

・この時私にはトップとしての業務の他に、イ.新商品ビデオ教材の制作、ロ.訓練の品質改善、 ハ.営業部門の体質強化という三つのプロジェクトがあった。この三つの選択肢から私はイ.を選んだ。 今思うとこの判断が誤りであった…。判断に従って平成4年より準備を始め、以後5年間にわたり6本のビデオ教材という新製品を完成販売していた。それぞれ採算に乗り、年商4億、5億の貢献を果たしたが…。

【 企業は小腰をかがめ、不況が過ぎるのを待つ 】
・平成9年の消費税5%への引き上げを皮切りに、日本経済は再び不況に見舞われた。…またか。我々は大型不況をたった今見送ったばかりなのだ。その傷がまだヅキヅキ痛んでるというのに。…まさか。長期で巨大な大型不況が、たて続けに襲うなどあり得ない事だった。それでも企業は小腰をかがめ、木々を揺らして不況が通り過ぎるのを待った。

・2つ目の不況が到来して一年がたち、ビジネスマンたちの顔色が変わった。長期信用銀行、日本債券銀行が行き詰り、山一證券、そごうが倒産した。銀行がゼネコンや流通業に貸し付けた資金が不動産に投資され、不良債権と化していた。 ここにもツケは残っていた。 不況は巨大銀行を含む金融不安の様相を呈していた。

・またしても会社は存続の危機に立たされた。悪い知らせが続いた。冷戦の終了が世界を変えた。日本の大企業は中国やアジアに工場を移転した。それが恐慌的デフレスパイラルとなった。超優良と信じられた日本の企業が構造上の欠陥を抱え競争力を失っていた。 高賃金、過剰人員、多額な借入金、過剰設備。
・平成第二の不況は大型化し長期化した。荒海に投げ出され当社はなすすべなく苦しんだ。 当社の売上は、平成7年に27.0億に回復していた。 第二の不況で年々売上を減らし平成14年は21.2億に落ちた。私のプライドは地に落ちた。お客様にモデルを示し、ご指導をしていく立場にありながら、その当社がもがき苦しんでいるとは…。

 にほんブログ村 経営ブログへ