第138回 『 バブル崩壊と12年不況 』 10
- 2004/04/27(火) 15:00:00
・平成8年のある早朝の散歩のおり、善福寺川緑地の池のほとりで、久しぶりに渡辺老人の辻説法が聴こえてきた。70代半ばの声の立派な元気な方であった。話は、つかまった若者には迷惑だったかもしれないが、私にはたいしたことだった。京城(現ソウル市)の氏の旧制中学時代、世界史の先生が60年前の渡辺学生に聞いたそうだ。 「今度の試験で、君は出題に山はかけましたか」渡辺はすでに山をかけ、自信があると答えた。すると先生は意外な事を言ったのだ。その山と正解を、クラス全員に教えてあげなさい…。 せっかくの山を、何故仲間に教えてしまうのか。先生は言った。仲間に話せば君は同じことを40回話すことになる。しかし聞く方は一回だけだから、どちらが身につくかは明らかだ。
・管理者が部下を育成することは、自分の手で未来のライバルを育てる事になる。この矛盾に対する柏木仙蔵の説得の中身、私は台本に不満を持っていた。こんなことがあるのだろうか。私は急いで台本を書き直した。
【 正解が天から降ってきたんですよ 】
・ビデオ完成の打ち上げの酒席で、江守徹が台本のこの箇所の修正は良かったと話しかけてきた。早朝の散歩、池のほとり、辻説法…。「正解が天から降ってきたんですよ」 私は不思議な体験を話した。すると彼は手を打って言った。「そうなんだ。あのシェイクスピアも街に出かけて、人々の話を聞いてセリフを書き直したりしていたんです。」 と教えてくれた。
・「成程なあ、やる事は誰だって同じなんだ…。 」 氏はシェイクスピアに心酔する俳優として知られていた。この時、なぜかくだらない冗談が私の頭をかすめた。すると我慢できなくなり、私は思わず冗談を口にした。「あなたはまさか心の中で、私をシェイクスピアだと思っているんじゃないでしょうネ」すると氏はカッと怒り、テメー、コノヤローを含む罵詈雑言を浴びせて来た。この時私はつくづく自分が、人を見る目を持たないことを思い知らされた。
・俳優さんはまず映画に出たがり、次にテレビの連続ドラマに出たがり、当社の教育ビデオには残念ながら出たがらない。俳優を決めるキャスティングでは、当社は常に苦労した。電話を、かける片っ端から断られる…。ところが、第三作目が完成した頃になると、気のせいかキャスティングが楽になった。当社のビデオ教材の質が、関係者に認めらていたかもしれない。また渡瀬恒彦、萩原流行、江守徹が当社のビデオ出演後、偶然だがNHKの大河ドラマの主役、準主役に登場したことも、ラッキーだった。 (炎立つ。藤原秀衡、渡瀬氏/炎立つ。清原真衡、萩原氏/八大将軍吉宗。近松門左衛門、江守氏)
・えっ!という申し出が、ある俳優さんから寄せられた。出演を断ったこれまでの事は申し訳ない。今後は、ぜひ出演したいという申し出が代理人を通してあった。噂を聞き 『リーダーの部下育成』 3時間20分をご覧になったようだった。小林稔侍さんであった。もしこれが実現したら、江守対小林の対決シーンは相当の迫力が期待された。
・平成9年の頃、私は一般社員向けビデオ教材を企画していた。題名は 「教育コンサルタント唐木田愛・シリーズ」 コンサルタント役には吉永小百合さんはどうだろう…。酒席でビデオ隊のスタッフに話したら、ワッと盛り上がった。この話はその後、何と前に進み出していた。
第137回 『 バブル崩壊と12年不況 』 9
- 2004/04/20(火) 15:00:00
・江藤「柏木さんのような先生方は、書斎で立派な理論が生まれますが…、残念ながら大して役に立ちません。なぜだか分かりますか?」 柏木「…いえ」 江藤「ご自身で経験されていないからです。つまり机上の空論」 柏木「これは手厳しい」
・私は当然、第2作を企画した。テーマは「やる気100倍仕事の与え方」(120分)は平成5年4月、完成した。俳優は柏木仙蔵役は渡瀬恒彦氏に引き受けて頂いた。対する準主役は荻島真一、脇役は新井康弘、久保田篤氏らが出演した。
・江藤「まだ建前を…」 柏木「柏木流です。二度やれとは申しません。(きっぱり)一度はやって頂きます」 江藤「いまやりましたよ」 柏木「さっきは、江藤流。今度は、柏木流です。…私はできます。(強く)あなたもできます」
・第3作は、『秘伝満載・リーダーの仕事の進め方』(120分)。平成5年11月に完成した。大和田伸也が再び柏木仙蔵を演じ、相手役は萩原流行氏が勤めた。平泉成、見栄晴が脇を固めた。
・神保「私の部門は仕事が減って縮小していると…?それは…(興奮してきたのを押さえるよう)私が本気ではないからだと」 柏木「フッフッフ」 神保「(激しく)笑うなっ! 何がおかしい!」 柏木「(顔をひきしめ)いや、失礼。何も言わなくてもあなたは常に…、私の言いたいことを知っておられる」
・第4作 『THEコミュニケーション』(130分)は、江守徹が柏木仙蔵を好演した。相手役は重田尚彦が勤めた。中西良太、山像かおり、小西博之などがサポートした。平成6年7月、完成。
・神保「あのトロい連中でも、一流のビジネスマンになれますか」 柏木「(目がキリッと光り、鋭く)なれるわけが…、ありません」 神保「ほう、(負けまいと)さすがの柏木流も、あの連中には歯が立たない」 柏木「あの方々はどうにでもなりますが、三年間、あの人達を放ったらかしにし、かつ反省のないお二人には歯が立ちません」
・第5作は、前作に続き、江守徹が柏木仙蔵を演じた。『リーダーの部下育成』(200分)。 村井国夫、重田尚彦、中西良太が共演し、平成6年12月、完成。
・南雲「(にべもなく)ありません。…営業に問題があるということですが?」 柏木「……」 南雲「原因は何だと言いたいんですか?」 柏木「このような場合、一般に原因は営業部門の無為無策…!」 南雲「無為無策!? 何を言うんだ!」
・第6作は、『目標はいかにして設定すべきか』 (120分)。柏木仙蔵シリーズの最終作となった。キャストは柏木仙蔵に江守徹。相手役に峰岸徹、清水絋治氏など。平成9年1月、完成。
・平成4年から5年間、脚本を書き、ビデオ教材6本を作った。学んだことも多かった。善福寺川緑地で、適当に名を付けた登場人物達のキャラクター作りに苦しんだ。
・神保「(激しく)笑うなっ! 何がおかしい!」 柏木「(顔をひきしめ)いや、失礼。何も言わなくてもあなた常に…、私の言いたいことを知っておられる。」こういうセリフが生まれると嬉しかった。江守徹、大和田伸也、渡瀬恒彦はこの箇所に目を留める。そして役作りに真剣味を増すであろう。映像を作るには、50人もの人々が様々な分野で参加している。彼等もこのセリフで映像作りの熱意が増すに違いない。
・台本が決まり配役が決まる。俳優が顔をそろえ、読み合わせをする。衣装合わせ、ロケハンティング、やがて撮影。そして映像の中で、私の架空の登場人物達が個性を獲得し、現実性を帯びてくる。
・平成7年、リーダーの部下育成の上演会が銀座ガスホールで行われた。私は舞台でお客様にご挨拶をし、その後監督と並んで映画を観た。そして後半、私はほとんど泣きっ放しとなった。ところが、隣席では監督が涙一つ見せてなかった。凄いとほめたが、何日かして気がついた。彼は仕上げで、数十回も映像を見ていたのだ。
第136回 『 バブル崩壊と12年不況 』 8
- 2004/04/13(火) 15:10:00
・ビデオ 『リーダーの責任と責任感』 が90分のドラマとして完成した。会社では多数の人々が参加して物を作り、サービスを創り、他者に売る。この『つくる』活動に多額のエネルギーとコストが投入され、品質が創り出される。そしてこの品質が会社の売上と利益を創り出している。この品質に、部分的に責任を持つのが各部管理職だ。彼らひとりひとりの責任感の有様を描くことで、責任感というテーマの重さを、損なうことなく提供できたと思う。
・森川フーズ社の森川創業社長は老いた身を車椅子に託し、外科病棟に長期入院していた。この日、会社のユーザー、鷲尾商店の社長の葬儀が行われる。鷲尾とは戦時中、中国の戦場で共に戦った戦友であった。森川は心をこめて弔電を書き、気の合うリハビリ仲間、教育コンサルタント柏木仙蔵に会社への電話を託す。 「あア、ついでに鷲尾商店との最近の取引き、聞いて下さらんか」
・やがて、電話を了えて帰ってきた柏木は老社長にショッキングな報告をする。「鷲尾商店との取引は、現在、停止しているそうです。 …2年前より」 思いもかけない報告に森川は激しく動揺する。2年前、自分に知らされることなく取引停止。 …。会社にはいったい何が起こっているのか。
・車椅子にある森川社長は不安に焦る。情報を集め、事態を打開する気力体力は今の自分にはない。彼にはあらゆる手段が封じられていた。しかし、創業社長にギブアップはない。必死の森川社長はかすかな手がかりをつかんでいた。「 教育コンサルタント 」。彼はこの日退院していく柏木仙蔵にすべてを託した。それは老社長の最後の賭であった。
【 品質がそもそも悪いんじゃないんですか 】
・取引停止はなぜ起こったか。…ある日、柏木仙蔵はモリカワフーズ社工場の現場に立つ。そして丁寧に観察する。製造一課、資材課、技術課。彼の鋭い目がときどき留まる。そして反撃…。ある日、彼は製造一課長を野外に呼び出し、ずばり切り出す。
・柏木 「 … (うなずいて) 前に申し上げましたが、品質がそもそも悪いんじゃないんですか」 渡辺 「 業界最高とは言えませんが… 」 柏木 「悪いんですか」 渡辺 「いえ (強く) 中堅です 」 柏木 「 では、品質が最近落ちて来たのかも 」 渡辺 「そんなことは…、データもある。(手にしていたファイルを持ち上げて) 見せますか 」 柏木「どのメーカーも、少しくらいは良くなっていますよ」 渡辺 「 …(いぶかしそう) 」 柏木 「少しくらい良くなってもビリになってることもあります」 渡辺 「 (かっとなって) 少しぐらい…?! (自分をおさえて) 言いますね 」 柏木「品質が落ちれば、いいユーザーが落ちていきます」 渡辺 「 (激しさをおさえるように) 品質が低下していると言うんですか」 柏木 「 …(うなずく) 」 渡辺 「 そんな!何を根拠に…(激しく) 許さん!」 柏木 「 (静かに、ゆったり) 調べましたか? 」 渡辺 「 … 」 柏木 「 ちょっと調べればすぐに分かることですよ。これです。」
・このビデオは1セット12.8万円で販売され、平成4年12月から、平成5年の13ヶ月で2億円の売上げを計上した。期待した以上の売上げであり、引き潮ムードの続くなか、 「責任」 は小さな救世主となって当社の営業を元気づけた。スピーディな場面転回、推理劇風なタッチが好評の原因であった。私の創った柏木仙蔵は、冷静で論理的で実に格好良かった。
第135回 『学校の歌ができるまで』 3
- 2004/04/06(火) 15:00:00
『セールス無情』 詞 財部一朗 曲 元橋康男
1. 2.
好んでやってるわけではないが 靴にしみ込む泥水蹴って
ある日ある時その気になった 行けどあてないきょう一日よ
重い鞄に泣く俺ではないが 叱ってくれるな鬼の鬼の所長
冷たい言葉が骨身にしみた くじける心をはげまし進む
ああ桜ふぶきよ 桜ふぶきよ ああ夏の嵐よ 夏の嵐よ
セールス無情 セールス哀し
3.
雪よ吹き荒れ 風よ吹け
親も女も さがって見てろ
ここは男の 力の力の世界
死んでもともと
やろうじゃないか
ああ男ふぶきの 男ふぶきの
セールス志願
・昭和四十九年は第一次石油ショックが日本を襲った。一ガロン二ドルの原油が、十四ドルにはね上がり、人々はトイレットペーパーの買い占めに走るという異常な社会現象が生じていた。しかし不況の大きさはなかなかのもので、当社では数カ所の営業所を閉鎖した。
・時あたかも当社では劇画による営業マン教育教材、『セールス志願』のシナリオ作りが進められていた。劇画は十六ミリ映画に撮影され、教材として販売する…。カセット教材から映像教材へ、創業七年の若い会社の野心作だった。
・私は創業三年にして病に倒れ、以来、会社に出社できなくなっていた。 仕事はやむなく自宅で行った。人混みで死の恐怖に襲われる…。病気は当時は奇病とされたが、今は広場症候群という名前を得て認知された。療養もあって私は東京蒲田から、緑豊かな日野市に住居を移した。
・仕事は自宅で行なわれ、四、五人の若いスタッフが毎日通ってきていた。彼らは新居のリビングに陣取って、シナリオの制作を進めた。街では吉田拓郎の襟裳岬の曲が流れていた。
・セールス志願はある営業所に入社してくる営業マンが、挫折をくり返しながら成長していく姿を描くもので、二時間十分の本格的劇画であった。製作プロダクションは東映動画株式会社、劇画はタツノコプロダクションが担当した。製作費は二千万円である。当然、私の若い頃の営業の経験がシナリオの下敷きとなった。
・この中で私は主題歌を作った。私の處女作、セールス無情である。曲は同僚経営者の元橋康男が担当した。歌手は新橋の駅前のトリスバーで知りあった、流しのサブちゃんに頼んだ。声のいい、歌のうまい歌手だったが、私たちは迂闊にもサブちゃんの本名を忘れた。靴に滲み込む泥水蹴って、行けど当てない今日一日よ。この箇所は営業経験者の共感を得るに違いない。
・十六ミリ映画は昭和五十年に完成した。不況のまっただ中の発売となった。ビデオはまだ普及していなかった。野心作はあまり売れなかった。高い授業料についてしまった。歌は学校のセールス特訓コースの歌として歌われたが平成十二年、セールス鴉と交替した。
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