第133回 『 バブル崩壊と12年不況 』 6

  • 2004/03/23(火) 15:00:00

・バブルは平成2年に発生し、崩壊と不況は平成15年まで14年間続いた。崩壊の第一波はひそかに始まり、想像を絶する破壊となった。地価は半減、株価は平成元年の高値38915円が平成7年20011円の安値をつける。その不況は平成5年の4ヵ年で終わり、平成7年8年は3.0%4.4%の成長となった。早くもバブルを脱出し、経済は再び成長を始めるかに見えた…。
・この時、橋本内閣は致命的なミスを犯す。平成9年4月の消費税増税、秋の社会保険料の負担増が景気の上昇ムードに水を差し、景気は再び下降を始めた。一方、銀行に発生した不良債権の処理を、この際一気に進めよという声があった。ところがこの案が先送りされる。銀行によって体力に差があり、債権処理が一気に進められない。地価は将来いずれ上がるから、その時一斉にやればいい。体力の弱い銀行に合わせてスピードを調整する、典型的護送船団方式であった。

【 官僚達の計算は皮肉で悲惨な結果となる 】
・これが、債権処理の絶好のチャンスを失わせた。あまりに安易な官僚達の計算が、皮肉で悲惨な結果となる。銀行はまず不良債権の処理を先送りし、悪いことに自らの体質の改善を先送りしていた。以後10年、上がると期待した地価は下がり続け、半値のものが3分の1、4分の1となっていった。日経ダウは平成7年12月20011円のものが、平成15年4月8000円を割った。これらにより何と銀行自らが、長年積み上げてきた巨大な資産を空洞化させていたのだ。
・平成10年、日本に金融危機が発生する。北海道拓殖銀行、山一證券、日債銀その他の経営破綻。この時ようやく銀行で、不良債権処理とリストラが本格的に進み始めたらしい。
・政府は国債を発行し、公共事業によって景気と企業を下支えする。次に、消費者の預金金利を零に導き、銀行を救済する…。 官僚たちは国民を犠牲にして、都合のいい対策をひねり出す。「これしか手がありませんな」「…ま、これでいくしかありません」 誰も責任を取ることなく、処理が進む…。

【 77年間に一度、人は裸にされる 】
・日本は昭和10年日中戦争を始める。戦争は米英を相手とする第二次大戦に拡大、15年戦争として昭和20年敗戦となる。この戦いで240万人の将兵と一部国民の生命を失った。都市は徹底的に焼失され、海外の660万の同胞が身一つで引き揚げてきた。また、政府が発行した膨大な戦時国債は150倍のインフレによって価値を失った。たとえば10万円国債が期日が来て10万円は受けとれても、100分の1の1000円の価値しかない…。 郵便貯金も銀行預金も一時預金封鎖されて引き出せない。この間に猛烈なインフレで金は価値を失っている。こうして政府は膨大な預金の支払いを事実上チャラにし、すべての国民はきれいに裸にされた。昭和20年は明治維新以後77年である。つまり77年間に一度、人はすべての資産を奪われるのだ。誰によって…?むろん、政府によって。

【 被害は資産家を直撃したが、弱者も襲った 】
・昭和20年から、バブルと大不況が終ったらしい平成15年までは、58年間である。先の大戦の時ほど徹底的ではないが、企業も個人も資産は全て無価値となった。被害は資産家を直撃したが、長期の不況が次に弱者も襲った。まずリストラが中高年層を襲い、若い人にはまともな職が極端に減った。中小企業は貸しはがしで、倒産、または資金繰りに苦しんだ。
・60年に一度、または80年に一度、企業や個人の持てる資産が零になるのだ。このことが良く分かった。しっかり統括をして、これを後世に伝えなければならない。先の大戦の災害は、無謀な戦争に導いた国家の破産が原因であった。今回のバブルと大不況の原因は何か。それが、未だはっきりしないのだ…。

【 小さなリュックを背負っていた 】
・この度の破綻は、私は60代の半ばを少し過ぎて終了した。やり直すには半端な年齢だが、やり直すしかないのだろう。
・私はもう一つの破綻も体験していた。昭和20年11月には660万の海外同胞の一人として、朝鮮から日本に引き揚げた。国民学校3年生で、母に手をひかれ、 …小さなリュックを背負っていた。


訂正
・『 バブル崩壊と12年不況 』 3号で、私は投機は悪いことではないと書きましたが、私の錯覚であり、投資と訂正します。
・私の意は、本業とは関連しない不動産等への投資の意です。お詫びします。

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