第130回 『 バブル崩壊と12年不況 』 3
- 2004/03/02(火) 15:00:00
・当社は昭和60年頃、サンフランシスコ市に邸宅を購入した。英会話の合宿所として、夏休みなど中高生のお客が若干だがあった。価格は7000万円だっただろうか。ビジネスとしては赤字であったが、アメリカに英会話校を持っている事は、それなりに夢があった。しかし、ロスアンジェルスに管理者養成学校USA(KYG・USA)の開校により、サンフランシスコの英会話は中止となった。邸宅は売りに出し、そして買い値に近い値で売れたと思う。多分、平成3年頃であったろう…。
【 目的は中途半端だが投機だった 】
・昭和60年当時、日本の企業は絶頂期にあった。日本の工場はアメリカだけでなく世界に進出していた。工場だけでなく日本の資本がアメリカの不動産を買いあさった。昭和62年、ソニーはハリウッドの映画会社コロンビアを買収した。同じ頃、ロックフェラー・センターは三菱地所が購入した。当社のささやかな投資はこうしたムードの中で行われた。国内の不動産は値上がり激しく、人々は海外の不動産に目を付けた。ニューヨークやハワイなど、アメリカの不動産が次に値上がりするだろう。こうして数十兆もの金が日本からアメリカに流出し、そのうちの僅かなものが、当社の7000万円だった。目的は、まあ中途半端だが投機であった。
・今、私はそれがどのようなものだったか調べてみた。購入したのは昭和59年5月だから、 バブルの初期だった。 購入価格は30万ドル、 為替は1ドル230円、6970万円。売ったのは平成1年11月、為替は142円、価格は48万ドル、60%の値上りだった。昭和59年、7000万円を投入し、5年後の平成1年末、6300万円となって帰って来た。国内の不動産と違い、傷は小さかった。
【 そして投機は悪いことではない 】
・企業のトップは資産の管理も守備範囲とする。あの二件の国内物件と同じで、英会話学校を名目とする中途半端な投機が危険を大きくする。投機なら投機と割り切ってするべきだった。そして投機は悪いことではなく資産の目減りを防ぎ、増大を目指す正しい行為なのだ。従ってこれは隠されるべきではなく、また周囲をごまかして行うべきではなかった…。ただし、情報と知識を伴なわなくては、成功しないだけでなく損害を発生する。為替の知識すら、当時の私には欠けていた。
・その為替は平成7年には79円に上昇した。この年不動産を売れば、邸宅の損金は3500万に達したであろう。傷が小さかったのは単に偶然にすぎなかった。30万ドルで買って48万ドルに上昇していなければ、損は3740万に達していただろう。
・そもそも昭和60年のプラザ合意により、日本円を高くするという先進5ヵ国の合意がある中、アメリカへの投資はきわめてリスキーであったはずだ。常識的には近寄るべきでなかった。案の定というべきか、あの頃流出した数十兆の資本は、バブル崩壊で日本への帰国を命じられた。企業各社は為替によって大損失を出したはずだ。
・私のように純国内取引と違い、輸出入関連の企業には為替のノーハウを持っている。日頃、為替で苦労されている。こういう企業は賢い行動を取られたであろうか。もしも行動を誤ったとしたら、その理由は何か。例えば為替の読みの誤りであろうか。昭和60年、円は242円であった。これが79円に3倍になった。あの時、円高の予測値を持っていたか。80円は予測できなくとも半値の120円は予測したか…。
- HOME |



