第129回 『 バブル崩壊と12年不況 』 2

  • 2004/02/24(火) 15:00:00

・「彼を知らず己を知らざれば、戦うごとに必ずあやうし。」2600年前の中国の兵法家、孫子の兵法の教えである。平成3年のバブル崩壊と12年不況を、当社は彼を知らず己を知らないという虚弱体質で迎えていた。大海の中で、己の位置も進路すら知らなかった。荒波に存分に打ち据えられ、翻弄されて為す術がなかった。
・孫子の教えは更に 「彼を知らずして己を知れば一勝一負す」 とある。この5年、当社も学習し、己を知ることができた、と思う。自らの位置と進路とスピードと体力が常に知ることができる今なら、より積極的な対応が取れたであろう。すなわち己を知ることで、当社は全敗体勢から一勝一敗体勢へ前進した。 …と前号で述べた。

【 高額な土地や建物がピンポン球のように高騰した 】
・彼を知らずしての彼とは何か。彼とは自分が戦う相手である。平成のあの戦いで我々が敵としたものは、昭和60年に発生した株式、不動産を中心とする資産の暴騰と平成3年に始まるバブルの崩壊…、 そして長期不況だ。
・地価の上昇はなぜ始まったのか。数千万円という高額な土地や建物が、わずか6年間という短期間に何故ピンポン球のように3倍5倍に高騰したのか。そして高騰した不動産は三分の一、五分の一に下落し、今も続く。私はまずあのバブルの正体が分からない。また説得力のある説明を聞いていないゾ!

・あの激動期を、当社は機敏に行動したつもりだった。学校経営の当社は将来のため、土地の手当をする必要が常にあった。社会も当社も成長期であった。あの頃、土地の値が動き始めたと感じていた。昭和61年、私は東京郊外に1千200余坪の土地を4.5億円で購入した。また翌年、大阪の郊外に、1000坪の土地を3億円で購入した。

【 我々の前に新しい現実が出現した 】
・これらは投機ではなく、歴っきとした学校建設予定地であった。大阪の物件はほぼ設計図が完成していた。したがって売却は考えてなかった。しかし白状すると、値が動き始めて慌てて土地を探し、吟味もせずにあわただしく購入し、二つの物件を購入して、ホッとしたのだった。エクスキューズは出来ても、あれは明らかに投機だった。二つの物件は不良資産として今も手持ちだ。
・バブル期、社員寮のマンションを数室購入した。サンフランシスコに研修センター用の邸宅を購入した。3億、4億の物件は2年、3年で4倍という恐ろしいほどの値上がりをした。昭和63年ロスアンジェルスに管理者養成学校USAを開校した。 バブルで心はすでに舞い上がっていた。経営に対する根拠のない自信が生じていた。

【 見た事のない新しい現実】
・私はトップとしての当然の措置を忘れ、浮かれた。我々の前に、見た事のない新しい現実が出現したのだ。その現実は会社にかなりの影響力を持っている。責任あるトップなら新現実について考察を重ね、自らの意見を持たねばならない。それを怠ったか、分析が不十分に過ぎた。バブルに関する知識もなかったし、何らの学習もしなかった。
・不動産や資産の高騰はいずれ止まり、いつか一斉に下がると考えていた。4倍の地価は半値になり、それが底であろう。そして5年か10年かけて値を戻す。具体的にはこれが私の分析だった。こんな分析ぐらいは、誰だってしていただろう。東京では平成2年に高騰は止まり、足どりは弱くなった。景気が平成2年には下降を始めた。当社の売上急降下にただならぬものを感じ、マンション等の不動産はすべて手放し、それなりの利益を得た。機敏な行動をしたつもりだった。しかしあの2件。初めは全く売る気なく、3年たってようやく本気になるが売り損ない、私の分析をあざ喘うように今、無価値に近い…。

・私は社会人であり、責任のある立場にある。社会には動きがあり、バブルに人々が走り出す事もある。あの時、バブルに走った私は自然だったし、立ち止まって見ている事は不可能だったろう。私に非難すべき点は、物事をきちんと考え、正しい道を発見しておかなかった事だ。山の中の二つの物件は換金性に乏しく、資産として持ってはならぬ物件だった。学校建設という目的がどんどん遠のいているのに、思考を停止してしまった。資産として持つなら換金性の高い物件に変えておくべきだった。私は原則を踏みはずしていた。

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